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創業者・父「トシハル」という人

トシハルとは、私の父のことです。
株式会社メカの創業者であり現会長である私の父。
父の言葉は、とても強烈で父と関わった人の心に今でも響いているらしい。(父が強烈だったので)

その思いを、メカのみんな、私の子供たちに
伝え続けていくことが私のミッションの一つで
あるように思えたので、書いてみようと思います。

その前に父がどんな人だったか。

昭和20年熊本県人吉市生まれ。
会社員で炭の会社(その後ガス会社)の経営をまかされていた温厚でやさしい祖父と看護師・助産師でいつも忙しかった優秀で激しかった祖母が両親。

ギリギリ戦後の昭和二十年生まれ。
男ばかり4人兄弟の次男。

小さい頃から釣りと動物が好きで自然が好きなガキ大将。正義感が強く喧嘩っ早くて人の喧嘩もとってやるようなタイプ。

八代工業高校を出て、京都の会社で醸造機械のメーカーに入社。自動機械を設計をするようになる。

その後東京に出て、トヨタの設計に関わり、22歳で設計事務所として独立。
青函トンネルのコンクリートポンプの設計など、当時日本にはなかった様々な機械を設計し世に送り出す。当時はそんな時代でしたね。

昭和49年(私が二歳の時に)28歳で今の会社の前身となる東洋メカニクス工業を設立。

食用油ろ過機、フライヤー、ゆで麺機、解凍機、ディスペンサーなどの機器を独自開発して、数多くの外食チェーン、社員食堂などに使っていただいています。

自ら開発した技術で数々の特許・実用新案を出願。

2016年から社長を私に譲り会長職。それから一度も会社に出社していない潔さ。この潔さのおかげで今があるのかもしれない。

父を一言で表現するとしたら
「茶目っ気のある暴れん坊将軍」みたいな人。

今は病院でおとなしくしていますがそんな父トシハルが私たち家族や社員に口癖のように何度も何度も伝え続けた言葉がある。

その思いを私の子供たちやメカのスタッフのみんなにも残しておきたい。

「バトンを渡す!」「つなげる」
これは後継者としての私のミッションだから。

誰かの心にも響くものがあれば嬉しいです。

つづく

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