徒然なるままに 年末年始行事
今日は、「徒然なるままに 年末年始行事」という題で書きたいと思います。
さて、今年は、正月早々から富山の地震に始まり、2日の羽田空港での事故など、衝撃的な始まり方をしましたが、そんな年も、無事、最後の月を迎えようとしています。
日本では、通常は、1月〜12月と数字を使って月を表しますが、もう一つ各月を「和風月名」を使って表すことがあります。
この「和風月名」の中でも、最も有名なのが、12月(最後の月)である「師走」です。
師走とは
「年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。」
(年が押しつまって、人がいそがしそうにしあっているころは、この上なく感慨深い。)
これは、兼好法師の「徒然草」の第十九段にある師走の状況を表した言葉です。
最後の月となり年が替わるとなると、やらなければならないことがたくさん増えて、師走になったとたんに、時間的にも気持ち的にも、なんとなく落ち着かなくなってしまいます。
現代でも、12月になると仕事締め、忘年会、大掃除、クリスマス、年賀状、新年の準備と買い出し等々、非常に忙しい月となります。
平兼盛が詠んだ歌で、「拾遺和歌集」でも
「数ふればわが身につもる年月を送り迎ふと何いそぐらん」
(数えてみると、自分に積もり重なる年月なのに、どうして、一年を送るといってはあわただしくしたり、新年を迎えるといってはバタバタと準備をしているのだろう。年を越すのには何も急ぐ必要はないのに)
「師走」が慌ただしいのは、現代でも平安の時代でも、ずっと変わらないことの様です。
よく、この「師走」の語源として言われているのが、
12月は、各家で師(僧)を迎えて読経などを行いました。このために、師がこの時期に東西に忙しく走り回っていたことから「師(が)走(る)」となった説です。
しかし、実は、「師走(しわす)」は当て字で、四季の終わり、どん詰まりの意味である「四極(しはつ)」が本来の意味であると言われています。
また、「師走」は、この様に忙しい中でも活気にあふれており、何故かワクワクする月でもあります。
「何にこの 師走の市に 行く烏(からす)」
上の句は、松尾芭蕉が「奥の細道」の行程を終えたあと、46歳のときに近江で詠んだものです。
一見すると、わざわざ、師走の人ごみに行こうとしているカラスをとがめているような句ですが、その真意は、カラスをうらやましく思い、自分もあの師走でにぎわう街に行きたいという気持ちが込められています。
「月日ハ百代(はくたい)の過客(かかく)にして 行かふ(こう)年も又旅人也。舟の上に生涯をうかへ 馬の口とらえて老を むかふる物ハ 日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり」
「奥の細道」の最初の文にあるように、世俗から離れ、この文の様に、一生を旅に例え、人生の境地に達したはずの芭蕉にとっても、活気のある師走の街は魅力的だったようです。
行く年を顧みて、新しき年に思いを馳せる
そんな、年末年始ですが、最近少し様変わりしつつあります。
日本でも、最近では「ブラックフライディー」も定着しつつあり、年末の活気が前よりも早まってきています。
この「ブラックフライディー」とは、アメリカでは感謝祭翌日(11月第4金曜日)の在庫一掃の大安売りセールイベントを意味します。
一方、日本では、アメリカの様に感謝祭当日や次の日は休日になりませんが、昔からの「年末大安売り」が、「ブラックフライディー」に置き換わり定着しました。
アメリカでは、この「ブラックフライディー」が終わると、11月30日の直近の日曜日(2024年では12月1日)にクリスマスツリーの飾り付けが始まります。何故なら、この11月30日直近の日曜は「アドベント(待降節、降臨節)」と呼ばれており、キリスト教で「クリスマスの準備をする期間の始まりの日」とされているからです。
少し本題からずれますが、アメリカと日本の祝祭休日を比べてみると、アメリカの祭日が11日で日本では16日。休業日が、アメリカは感謝祭と次の「ブラックフライディー」の2日に対して、日本では、盆・年末年始休暇で6日間。有給休暇は、どちらも10日間となっており、合計でアメリカは、21日。対して日本は32日と、日本の方がよく休んでいます。
また、日本人は、1日の労働時間が長い(残業が多い)と良く批判されますが、実は、アメリカ人の方が一年間の実質労働時間は、格段に長いのが現実です。
では、何故、日本だけ残業が多い様に見えるかというと、日本では企業のために働くという意識(集団主義)に対して、アメリカ人は自分や家族の為に働くという意識(個人主義)が強いと言われています。その為に、日本人は、残業を同僚と一緒に会社で行うのに対して、アメリカ人は、家族との時間を多く持つ為に、残業を始業時間前の早朝(家族が寝ている時間)や、家に帰って残った仕事をする為に、残業をしていない様に表面上見えるだけです。
日本語の「過労死」は、英語でも日本語の英語読みで「karoshi」とアメリカでも通用しますが、過労死の数からいったら、アメリカの管理職の方が断然多いと言われています。(アメリカの管理職は、固定給のために残業代がなく、時間関係なく働く傾向があるそうです。)
当然、年末年始も、アメリカでは、感謝祭の前後、クリスマスの前後以外は、通常勤務となっています。また、12月31日にはカウントダウンを行なって年越しの祝いをし、次の元旦では休日とはなりますが、次の日からまた通常業務と、アメリカでは、日本人が古来よりイメージしている年末年始といった風情がありません。(アメリカで勤務していた時は、このアメリカでの年末年始にかなり戸惑った思い出があります。)
では、何故、日本では、年末年始を特別視したのでしょうか?
恐らくこれは、「年神信仰」があったためだと言われています。
「年神」とは、毎年正月に各家にやってくる来訪神をいいます。地方によってはお歳徳(とんど、どんと)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれるものです。
後に、この年神信仰と祖先崇拝そして、仏教の禅宗が習合して、古来からの日本の年末年始の行事が行われる様になりました。事実、正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものです。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であると言われています。また、「除夜の鐘」は、禅宗の年末行事でもあります。
この様に、日本の年末年始は、神道と仏教の影響を強く受けています。
因みに、「除夜の鐘」とは、12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞(つ)く行事です。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれます。
この「108」という数字は、煩悩の数、四苦(36)八苦(72)を足した物、または、月の数の12、二十四節気の数の24、七十二候の数の72を足した数など色々と由来はあります。
実は、この「除夜の鐘」は、最初は禅宗の一部の門徒で行われていたものが、東京・上野の寛永寺にて1927年(昭和2年)、JOAK(NHK放送センターの前身である社団法人東京放送局)のラジオによって史上初めて中継放送されてから全国に広がったと言われており、「除夜の鐘」は、意外と新しい年末年始行事といえます。
しかし、現在では、この「除夜の鐘」が近隣住民から騒音だと苦情が出たり、「年神信仰」を支えていた「祖先崇拝」が、核家族化により薄まり、そして、極め付けが、1996年に、ダイエーとイトーヨーカドーなどの大手スーパーで初めて、全国規模で元日営業を開始し、これが全国に普及して、伝統的な商慣習や市民生活が一変し、日本の年末年始の状況が大きく変化しつつあります。
これにより、アメリカの様に、日本でも元旦は、普通の日と変わらない1日となりつつあります。
しかし、
「門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
(正月門松はめでたいものとされているが、門松を飾るたびに一つずつ年を取り、死に近づくので、死への旅の一里塚のようなものだ)
これは、トンチで有名な一休さん(一休禅師)が、正月に頭蓋骨を持ち街中を歩き説いた言葉と言われています。一休禅師は、歳をとるとは死が近づくことでもあると、世の無常をあえて正月に説いたのです。
これは、日々の喧騒により、命の無情さや尊さを忘れ、明日も同じ様に訪れると思ってしまいます。それを戒めるための言葉です。
この様に、私の命は私では量り知れないほど多くの命に育まれ今在るのです。また想像できない多くの命を同時に支え育んでいる。この尊い命により今を生きています。
少なくとも、行く年くる年を鑑みて、これを思い出し、行く年を顧みて、新しき年に思いを馳せてはどうですか?