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政権の行方(その3)
前回までは、経済の話に深入りしすぎて、なかなか題名である「政権の行方」にまで行きつかなかったのですが、このシリーズの結論の部分へと、やっと入っていけるのではと思います。
「論語読みの論語知らず」と言いますが、特に政治経済の評論家に、的を得た文書が見当たらないと思うのは、私だけでしょうか?
何故なのか?
兎角(とにかく)、専門家と呼ばれる人々は、まず、数字から入ろうとするから実情と合致せず、かつ、数字をいい様に解釈して辻褄を合わせようとします。これでは、正常な論理ではなく、ただの妄想であると言えます。
確かに、経済や政治を科学的に解明する時には、科学として語る時の基本である数字(客観的な視点)で、現象を示すことは大事です。しかし、表に現れる数字は、どのようにも解釈が可能であり、従って「数字」で嘘を吐くのは簡単です。
肝心なのは、数字そのものではなく、その数字がどの様にして作られたのか、そして、その数字の意味を探ることが最も大切ではと思っています。
つまり、物事は、その過程(歴史)を語らずして、現在およびこれから起こる事さえも予測できません。
とうい事で、政権の行方を占うまえに、日本の政治史について説明していきたいと思います。
日本の政治史
日本は、「明治維新」により近代国家の仲間入りを果たします。当初は、「明治維新」の立役者である「薩摩藩」「長州藩」を中心とした「藩閥(はんばつ)政治」が行われます。
やがて、イギリスやドイツをモデルとして、帝国議会は、1889年に発布された大日本帝国憲法によって設置することが決められ、その翌年(1890年)に日本で初めての帝国議会が開かれます。
そして、「藩閥(はんばつ)政治」に不満を持つ人々により、国民の自由と権利を求める「自由民権運動」や立憲政治の確立を目的とする「護憲運動」が展開されていきます。
1918年、原敬が、日本で最初の本格的な政党内閣を組織。1924年には、立憲民政党と立憲政友会が二大政党として政権を争う政党政治が確立されます。
しかし、日本の二大政党政治は、1932年、海軍の青年将校たちが総理官邸に乱入し、当時の内閣総理大臣犬養毅を殺害する「五・一五事件」により僅か8年で終わります。
その後は、軍事力を背景とした「軍国主義」の時代へと突入します。
再び、日本に政党政治が復活したのは、第二次世界大戦後の「日本国憲法」が発布された後でした。
1955年には、講和条約や日米安保条約への考え方の違いから左派と右派に分裂していた社会党が、再び統一するという動きがあり、当時の与党であった鳩山一郎(日本民主党)内閣は、「日本の共産化」を防ぐために、保守政党の「自主憲法論」を唱い、日本民主党と政権を争うライバルでもあった「自由党」と合併し「自由民主党」が結成されます。これを「保守合同」といいます。
この後に、所謂(いわゆる)、与党・自由民主党、野党・社会党といった「55年体制」が開始されます。
自民党の長期支配が続くに従い自民党の内部からも政権交代可能な二大政党制を模索する声が上がるようになります。
元々、自由民主党は、考えの違う派閥の寄り合い世帯であり、我々の認識とは違い、一枚岩ではありませんでした。
従って、自由民主党は、派閥政党とも呼ばれており、この各派閥がそれぞれ交代しながらも、常に変革を続けながら一党独裁を続けてきました。
しかし、派閥間闘争が激化し、色々な弊害が生まれることにより、国民の政治不信が高まっていきます。
この政治不信が原因で、1993年(平成5年)の衆議院総選挙において、自民党が分裂して過半数を割り込みます。そこで、自民党から分離独立した新生党と新党さきがけが、社会党および公明党・日本新党・民社党・社会民主連合・民主改革連合といった小政党らと手を組んで多数派となり、合計8つもの政党から構成される非自民党・非共産党の連立政権(細川内閣)が誕生し、ここに「55年体制」が終焉します。
しかし8党連立政権はわずか10ヶ月で崩壊し、翌1994年には自民党と社会党と新党さきがけの3党による自社さ連立政権(首相は社会党の村山富市、のちに自民党の橋本龍太郎)が発足。
これは、長年のライバルである社会党と手を結ぶといった非常に珍しいケースです。言わば、「大連立」という状態です。
1996年(平成8年)の衆議院総選挙から、日本もアメリカの様な二大政党制を目指して、「小選挙区比例代表並立制」が導入されます。
しかし、この制度は、後に述べますが、多くの問題を抱えている選挙制度となります。
そして2009年の衆議院総選挙によって民主党が圧勝することにより、第二次大戦後で初めて、選挙で野党が衆議院での単独過半数を得たことに伴う政権交代が起こります。
高支持率でスタートした民主党は、しかしながら、沖縄の基地問題、消費税増税等により支持率が低下します。2012年の衆議院総選挙では自民党が大勝して過半数を奪還し、再び政権が交代。自民党が与党に復帰するという二大政党制的な展開が発生します。
その後、民主党は、2016年に維新の党と合流して民進党に改称するも、その後も分裂と連合を続け、現在では、第二党である保守中道の「新立憲民主党」とその他のリベラル系の野党が誕生します。
小選挙区比例代表並立制の問題点
1996年(平成8年)に「小選挙区比例代表並立制」が採用されるまでは、「中選挙区制」が行われていました。
この「中選挙区制」とは、1つの選挙区から複数の当選者が出る仕組みでした。同じ政党から複数の候補が当選することも可能であり、これによって、地元への利益誘導や地元利益団体との癒着など政治腐敗が大きな問題となります。
中選挙区制では、小選挙区と違って政党・政策本位での選挙とは到底なりえません。何故なら、同じ政党から複数の候補者が出るからです。その結果、選挙の当確を得るためには、候補者個人がおカネを大量に使って選挙運動をするしかありません。
その為、この様な欠点を持った「中選挙区制」は、「金満選挙」と呼ばれる様になります。
当時与党であった自由民主党は、ロッキード問題等により金がらみの事で、多くの国民から批判されていました。そのために、選挙で勝つために、金満政党のイメージを払拭するために、「金満」の代名詞である「中選挙区制」選挙を廃止し、「小選挙区比例代表並立制」を採用することとなります。
「小選挙区比例代表並立制」は、表向きは、基本的には1つの政党から1人の候補者しか出ないため、党内での争いも起きにくく、有権者にとって争点が分かりやすく、何よりも、狭い選挙区内での選挙活動になるため、選挙にかかる費用が抑えられるという特徴がありました。
しかし、その実は、「小選挙区制」は、「死票」や「一票の格差」といった大きな問題を抱えています。また、「小選挙区制」では大政党が有利になる為に並立された「比例代表制」は、如何であれ世間で認知されていれば票が集まることにより、政治のポピュリズムを促進したり、意味のない泡沫政党が乱立してしまうといった問題がつきまといます。
もっと具体的に説明すると、この「小選挙区比例代表並立制」は、与党である自由民主党が有利であり、かつ「比例代表制」を併用することにより、多数の党が乱立し、たとえ弱小政党でも、比例で有名人の候補を出せば議席は取れる可能性は高まりますから、野党がまとまる必然性が低くなることにより野党結集となりにくく、これも自由民主党を有利にするものとなります。
つまり、「小選挙区比例代表並立制」によって選ばれた候補者は、必ずしも公約により民意を得た国民の代表とは言えない状態を作り出しています。
そして、何よりも、このことをよく知っている自由民主党の議員達は、民意ではなく、自分の属する利益団体、例えば財務省なり経団連なり農協などを優先し、他の大多数の国民に背を向けた活動を行っています。
政治や選挙は、鏡と同じです。こちらが嘲笑えば、向こうも嘲笑っています。
民意とは
「民意」とよく混同されるのが「世論」です。
どちらも、意見や考えに関連して使われる言葉同士なのですが、決定的に違うことは、「世論」は、ごく一部の利益団体または思想的に同じ人々の集団の意見や考えです。
一方、「民意」とは、一般市民の様々な意見の中で多数派を占める意見を表す言葉であり、「世論」よりも広い意味を持っています。そして、この「民意」を具現化するのが、選挙です。
しかし、この選挙では、「白票」など存在せず、必ず一票を投じることが、日本の政治および経済を活性化させる方法であると考えています。
自分の一票でなにが変わるものかという意見もありますが、この一票が集まりこれが「民意」となって、日本を変えることさえ可能であると私は信じています。
最後に
「政権の行方」という題で、3回に渡り書いてきましたが、プラトンが言う様に「政治に参加しない罪に与えられる罰は、愚かな者に政治をされることである」であり、選挙で一票を投じて頂きたい。
そして、願うなら、なんとなくではなく、候補者及び政党の公約を基準として選んでください。
政治や経済は、今や我々国民にバトンが渡されています。日本を良くするのは、我々個人であり、企業です。
最後に、自由民主党だけでなく多くの候補者が、景気回復の為に、最低賃金1500円を公約に掲げていますが、大元の経団連が、これを批判しています。
曰く、中小企業が、この最低賃金では商売ができず、倒産してしまうと。
しかし、本当にそうでしょうか?
経団連には、今一度、日本の商売人の精神を形作った「近江商人の商売の極意(三方よし)」を思い出してもらいたいものです。
近江商人の商売の極意(三方よし)
三方とは、「売り手、買い手、世間」を指します。この近江商人が残した「売り手の都合だけではない、買い手のことを第一に考えた商売と商いを通じた地域社会への貢献」こそが、本当の商売であると言えます。
特に以下の十則は、大切な精神です。
1 商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
2 店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
3 売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
4 資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
5 無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ
6 良きものを売るは善なり、良き品を広告して多く売ることはさらに
善なり
7 紙一枚でも景品はお客を喜ばせる、つけてあげるもののないとき笑顔を
景品にせよ
8 正札を守れ、値引きは却って気持ちを悪くするくらいが落ちだ
9 今日の損益を常に考えよ、今日の損益を明らかにしないでは、
寝につかぬ習慣にせよ
10 商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ
経団連よ!目を覚ませ!
何故なら、日本の未来は、あなた方が商売の本質を思い出すことにかかっているのだから。