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山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 41「新聞奨学生生活完結!待望の修了式」

最後の朝刊配達が終わり、実家へ帰りました。途中真っ直ぐ帰らずに、配達区域を少し通って帰りました。道中、「3年間よく頑張ったな」と、なんとなく感慨深い気持ちになりました。
家に到着後、修了式出席のため身支度をして家を出ました。

会場に行く前に本店に寄りました。集金で余った残りの証券をパートの事務員に渡しました。
何人か従業員が出勤していて「よく頑張ったね」「ご苦労さま」と、声を掛けられました。お世話になった方、色々と仕事を押し付けてくれた方など色んな人がいましたが、「立つ鳥跡を濁さず」という感じで余計な事は言わず挨拶をして店を去りました。
その後、本店から通学でいつも利用していた最寄りの駅から電車に乗り、大阪の会場に向かいました。

修了式に参加したのは2年ぶりです。修了式に2回も参加するのは珍しいと思われますが、前は予備校生としての修了式に参加しました。会場は前回と同じで大阪市内のホテルでした。

会場では同じ専門学校の同級生と会いました。みんな一応進路は決まっていましたが、正社員で勤務することになったのは僅かで、後は派遣社員やフリーターをする人が多かったです。それから、新聞店で専業員としてそのまま店に残る人もいました。
正社員での内定を取れなかった人が少なかったのは、当時は就職超氷河期で求人倍率が凄く低かったので内定をもらえる人が少なかったです。

そして、同じ店の奨学生や違う店に異動した奨学生とも会いました。異動した人とは2年ぶり位に再会したので懐かしかったです。

修了式が始まり、新聞社の社長や来賓の挨拶などが行われました。そして、卒業生からの答辞があり、式は滞りなく終わりました。

式が終わると祝賀パーティーが行われました。立食パーティーで食べ放題飲み放題でした。ホテルの料理なので、沢山のメニューがあり、どれも美味しかったです。
専門学校の友達と色々話をしながら楽しく過ごしました。

会場には校長先生や教員数名が来ていました。学校の職員の方々には凄くお世話になったので、挨拶をしました。卒業はほぼ不可能と思っていたので、温情により特別な配慮を頂いたお陰で卒業できたので凄く有り難かったです。
そして奨学会の担当にも会いました。学校をサボりまくっていた頃は、いつも連絡をもらい気にかけていただきました。

祝賀パーティーが終わり、修了証書と記念品を贈呈され、会場を出ました。専門学校の友達と一緒にカラオケに行くことになり、ホテルの近くのカラオケボックスに行きました。
同じ店の同僚とカラオケはよく行きましたが、専門学校の同級生と行くのはこれが2回目でした。2時間ほど滞在し、凄く楽しい時間を過ごしました。「もっと一緒に遊べばよかった」と、少し後悔しました。

新聞奨学生をしていると配達や業務で自由時間が少ないです。誰かと遊ぶとしたら、同じ店の人が多かったです。専門学校の同級生だとみんな住んでいる所がバラバラなので、平日の夕刊配達後に何処かで会うというのは難しかったです。
夕刊配達があるので、下校時に遊びに行くのは不可能でした。

ちなみに平日の夕方前に街を歩くのは久しぶりでした。この時間だと毎日夕刊配達をしていたので、3年ぶりに平日のこの時間を自由に行動できたと思います。凄く懐かしく、そして新鮮な気持ちになりました。

カラオケが終わると、みんな明日の朝刊があるので早めに解散しました。みんな、何か開放感に満ちた表情で凄くにこやかに感じました。

友達と解散後、しばらく大阪の街をブラブラしました。就職すると平日に大阪に来ることは滅多に無いので、ここぞとばかりに散策しました。そして晩御飯を食べました。
その後、家に帰る前に支店に向かいました。

支店には毎日使っていたバイクを返却しに行きました。3年間で乗ったバイクは2台で、両方ともホンダのプレスカブでした。
もう乗ることのないバイクに別れを告げました。

そして、先輩に挨拶をして店を出ました。家から近いのでいつでも支店に寄れるので、畏まった挨拶はしませんでした。

バイクは自前の原付スクーターがあったので、それに乗って帰りました。

家に帰ると、本当にホッとした気持ちになりました。これからは夜中に起きなくてもいい、休みはちゃんと取れる、雨や雪や猛暑の日に配達しなくてもいいと思うと、凄くリラックス出来ました。

そして、翌日は内定先の建設会社に初出勤しました。

これで新聞奨学生としての任務は全て終わりました。専門学校に入学した時に背負った借金という名の学費140万円は全て払い終わりました。

やっと自由な身分に慣れて、巻き付いた鎖が解かれた気分でした。


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