山あり谷あり新聞奨学生体験記 Part 40「最後の新聞配達&最後の晩餐」
引き継ぎと集金が終わり、奨学生修了式が迫ってきました。「あと○日で脱出だ!」と、カウントダウンしながら毎日配達をしていました。修了式は3月下旬の月曜日に行われました。この日の朝刊を最後に退店となりました。
修了式の前の週の土曜日が夕刊配達最後となりました。夕刊では様々な事がありました。配達途中にノーヘルで警察に反則切符を切られたり、配達前にバイクのパンクが見つかり、配達時間が遅くなってしまい店長に怒られたりなど、色んな思い出がありました。
配達を終えると、少し肩の荷が下りた感じがしました。
夕刊はチラシがないので楽でしたが、2年目の秋頃から毎週月曜日に、店舗が独自に発行しているチラシを入れなくてはいけなくなり、手間がかかるようになりました。なぜ月曜日にチラシを入れる必要ができたのは、あるスーパーと店が契約してチラシに広告を掲載することになったからです。
従業員からは凄く不評でした。
夕刊配達後、本店で晩御飯を食べました。月曜日には退店するので最後の晩御飯でした。店の御飯は美味しくありませんでした。作る人によって味にバラつきがあり、当たり外れの日がありました。
この御飯も食べる事はないんだと思うと、食べる必要はなくなったと感じ、少し自由になった気がしました。
翌、日曜日は一人で配達する最後の日でした。配達しながら色んな思い出が蘇ってきました。初めて一人で配達の日、雨の日でしかも一時間半寝坊をしてしまい、終わったのが8時頃までかかりました。
バイクで住宅街を走行している時、T字路で逆走してきたバイクに正面衝突したこと。
走行中、突然ハンドルがガタガタと揺れ、それが阪神淡路大震災が発生した時だったこと。
色々とトラブルはありましたが、怪我もなく配達することが出来ました。
配達後、本店に行き朝食を食べました。最後の朝食です。特に美味しいと思いませんでしたが、いつも沢山食べてお腹を満たすことが出来ました。
昼間は部屋の整理をしました。荷物が多少残っていたので、実家に運びました。この頃は車の免許を持っていなかったので、店のバイクで何回かに分けて運びました。
最後の朝刊配達は、引き継ぎをした先輩と回ることになりました。配達順路と配達先を教えながら回っていました。説明するのに必死だったので、思い出に浸る事はありませんでした。
この日は店長が来ていました。店長は普段は朝刊には来なかったのですが、この日は私が最後の配達の日だったので来たようです。
配達を終えると「よく頑張ったなぁ」と声を掛けられました。今までタダ働きを沢山させられ、暴言を吐かれたことも沢山あったので、嬉しくありませんでした。
その後、店長と新聞奨学生2名と吉野家へ行って朝食を奢ってもらいました。
吉野家へは朝刊配達後に時々行っていました。吉野家は近い所にあり、支店からバイクで5分ほどの所にありました。本店には10分ほどかかっていたので、早く朝食を食べたい時や、朝から脂っこいものを食べたい時などに行っていました。
その後、実家へ帰り、奨学会修了式に参加するための準備をしに帰りました。
毎日の新聞配達から脱出ができて、凄く開放感に満ち溢れた朝でした。
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