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「日本語独特の表現」
Youtubeに、あるスイス人が日本語表現の便利さについて話している動画がアップされていた。
その中で、こんな一文が例としてあげられていた。
ー コップが壊れてしまった。ー
この短い一文の中に、決して故意に壊したのではない。自分としては壊したくなかったという気持ちまでもが表れている。
こういう表現は、日本語以外ではあり得ないという。
これを英訳すると、以下のようになる。
ー The cup is broken. ー
さらにこれを日本語に翻訳し直すと、「コップが壊れている」という、単にコップが壊れたという状況を描写しただけの乾いた表現にしかならない。
一旦この日本語表現を覚えてしまうと、それを母国語を含む他の言語で話しているときに、それを端的に伝えられなくてまどろっこしく感じることがあるという。
次に、日本語独自の表現の中で理解しにくいものとして「受動態」「使役受動態」について話していた。
ー お姉ちゃんに、ケーキを食べられた。ー
これがなかなか理解できなかったという。英語やフランス語などのヨーロッパ言語には、この表現が存在しない。
― 彼女がケーキを食べた。ー
こう表現するしかない。「食べられた」という受身表現自体が存在しないので、考え方そのものを理解できるようになるまで時間がかかり、日本語習得を断念しかかったとも言っていた。
こういったことは、日本を母語として生まれ育っていると、決して気付くことのない面白い事例だと思った。