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「大晦日」

 「三十日(みそか)」が転じて「月の最終日」を指すようになり、その年最後の「三十日」を「おおみそか」と呼ぶようになった。


 ここまでは知っていた。


 しかし、「みそか」に「三十日」ではなく「晦日」の文字が使われることについては、長い間疑問を持たずにいた。

 「晦日」の「晦」の文字は「月が隠れる」という意味。 
 訓読みで「つごもり」。
 「月ごもり」の音変化だと考えられる。

 「太陰暦では「十五夜」が満月にあたり、その後次第に欠けてゆき、月末には全く見えなくなる。
 それで、月の最終日「みそか」に「晦日(つごもりの日)」という文字を当てるようになった。

 その二文字に「大」の字を冠して一年の最後の晦日、12月末日を「大晦日」と呼ぶようになった。

 ということらしい。

 大晦日の夜が近づくと、おせち料理を作るのが女の仕事なら、それより数日前にのし餅を切り分けるのは男の仕事、それが我が家の役割分担だった。
 寒い台所に立ち、湯気をあげる鍋のそばに立つエプロンを着けた母の後ろ姿や、父と二人、次第に固くなって行くのし餅の切り頃を見計らって、包丁を入れたことなどが懐かしく思い出される。

 正月休みの間、父がよく練炭火鉢の上で餅を焼いてくれた。金網の上ではぜて膨れ上がる様子を喜んでいた幼き日。父は、餅が好きではなかったので、焼きあがった餅に醤油や黄な粉に付けて食べるのは、もっぱら3人の子どもたちだった。
 箱買いしたみかんを食べながら家族で見た紅白歌合戦や、年越しそば、年が明けてからの初詣、年賀状、お年玉、外で遊んだ凧揚げ、羽根つきなどが、年末年始の特別な気分を感じさせてくれた。

 一人暮らしをするようになってからは、それらの全てを行なわなくなった。今や年末年始は、僕にとっては平常と何ら変わりのない「普通の寒い日」。
 最後に「紅白歌合戦」を見たのがいつのことだったのか、もう全く思い出せなくなっている。

 年が明けたら、初詣に行ってみようかな?

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