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「たき火 ~ 恋のドライヴ」
「ここに来ると、いつもその歌を歌うね」
そう言われて、初めてそのことに気付いた。
その頃、僕は30代。地元の楽器店運営の音楽教室と契約を交わしていて、長野市の本部教室に週に1日音楽理論とピアノを教えに行っていた。
午前中に若手のピアノ教師を教えたあと、音大受験生や社会人の生徒がやって来る夕方まで、長い空き時間があり、その時間を、当時交際中だった女性とのデートに当てていた。
いつものレストランで昼食を摂り、長野市郊外のリンゴ畑や自然林の広がる中をドライブしながらお喋りを楽しむ。それがお決まりのデートコースになっていた。
ある曲がり角に差し掛かると、それに反応するかのように、いつも同じ歌を口ずさんでいたらしい。
無意識の行動だったので、言われなければ気付くこともなかっただろう。
童謡「たき火」の一節。
― 垣根の垣根の曲がり角 ―
僕は、その1フレーズだけを小声でくちずさんでいたのだ。
それと同時に、ある情景を思い浮かべていた。
3歳から13歳までの10年間住んだ鹿児島市常盤町。我が家から近い曲がり角に、生垣のあるお宅があった。当時の自分にとって “垣根の曲がり角” と言えば、その曲がり角だった。
長野でのドライブコースにあったその曲がり角が、常盤町のその曲がり角を思い出させ、そのたびに歌の一節を口ずさんでいたのだ。
ほんの一瞬、意識と無意識との僅かな隙間をかすめるように、ふとやってきては通り過ぎて行くかすかな記憶。
― ここに来ると、いつもその歌を歌うね ―
彼女のひと言で、まるで淡い夢を思い出すかのように、その心の動きに気付かされた。
それから10年が過ぎ、故郷鹿児島に帰ることになり、長野を出発し、長距離ドライブで懐かしき我が家にたどり着いたのが11月初旬。
初めて迎えた冬のある日。突然、長野でのその記憶を揺り起こされることになる。その時、僕は思わず笑ってしまった。
遠くから、近づいてきた灯油の移動販売車から、スピーカーで童謡「たき火」が流れてきたからだ。
長い間忘れていた。それは、かつて何度も耳にした懐かしい響きだった。冬が来るたびに・・・。
移動販売車から響き渡ってくるその歌は、さらに多くの記憶を揺り起こした。
少年時代、我が家の庭で、よく焚き火をした。現在、市の条例によりたき火は禁止されているが、かつては町のここかしこで普通に見られた。
常盤町に住んでいた頃だ。
剪定後に出る生垣や竹林の切り落とされた枝先や枯れ葉、紙ごみなどを掃き集め火をつけた。
風向きによって流れを変える煙に顔をしかめながら、逃げるように移動しつつ手をかざして暖をとる。
火力が衰えないように、時おり少しずつ燃料をくべ直す。投入したサツマイモがいつ焼きあがるかと心待ちにしながら、パチパチと音を立てる火を取り囲み、何やかやと会話は続く。
そんな幸福な「時」が、長野市でのドライブ中、意識の底から浮かび上がり、ほとんど無意識に鼻歌となって口から漏れ出していたのだ。
無意識の底に眠っている領域に、無造作に重なり合っている様々な記憶のカケラたち。思わぬきっかけで、ふわりと浮かび上がってくるのが不思議であり、また面白くもある。
― ここに来ると、いつもその歌を歌うね ―
助手席でそう言った彼女。
訃報を知ったのは帰郷後のこと。それからもう10年になる
「たき火」の歌を聞くたびに、そのひと声が蘇る。