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「13年前の殺人事件」

 2011年4月30日、鹿児島市常盤で49歳調理師の女性がライフル銃で銃殺されるという物騒な事件が発生した。
 そんなことなどすっかり忘れていたのだが、古い日記を見て、事件のことを思い出した。
 なぜそんなことを日記に書き残したのかと言うと、その翌日に知人からこんな電話があったからだ。

    ***  ***  ***

 2011年5月1日 日曜日

  高校の先輩から電話があった。

 「その辺を拳銃をもった男がうろうろしちょっで、出歩いたりせんで、じっとしちょらんといかんど」

 「いやいや、ここから常盤は、そんなに近くはないから。それでも、まあ歩いていけない距離じゃないけど」

 「そげなとを相手にしちゃいかんど」

 「相手にするって、わざわざそんな・・・」

 と苦笑していると、

 「うんにゃ、お前さんは、面白がってそげなとを相手にしそうな感じがすっでな」

 「まさか、そこまで物好きじゃないですよ(笑)」

    ***  ***  *** 

 日記はここまでで終わっている。

 「そこまで物好きじゃない」と結んでいるし、今でもその思いは変わっていない。

 普通だったら人が近づかないようなおかしなモノばかりに手を出してるわけじゃない。
 日の出の光景に心動かされ、自然界の中で生かされていることに喜びを感じ、命を大切にし、周囲の人々の幸福を願い、音楽を愛し、読書を好み、エッセイを書き、マジックの新ネタに常に取り組む、極めて健康的でちょっと哲学的な多趣味人みたいに、自分のことを捉えているのだが・・・

 もしかすると、それは自分の側からだけ見たところの自分であって、

 昔からの日記を読み返してみると・・・、

 人の目には、そうでない部分のほうが、

 より強い印象を放って見えているのかも???

 という気もしてきた。

 トラブル発生に繋がりそうなことばかりを、好き好んでやっているようにも・・・、見えなくも・・・  ない。

 不良然とした若者にわざわざ声をかけたり、
 態度の悪い年上の郵便局員をやり込めたり、
 疑わしい店に入店してみたり、
 興味があるわけでもない宗教に顔を突っ込んでみたり、
 絡んできた相手の横っ面を引っぱたいたり・・・。

 そういったことは、自分にとって、本質的な部分からは程遠い些末事でしかなく、それが自分という人間のイメージ形成に繋がるなどということは考えたこともなかったのだが・・・、

 人によっては、そういう部分だけが拡大されて見え、  

  「物好きの固まり」


  みたいに、

  思われているのかも・・・
  
   知れない・・・
     なぁ・・・ と・・・

    そうだとすれば、かなり心外なのだが・・・

    どうでっしゃろ???

    まあ、そう思われてるんだったら、
   
    それはそれで、しゃあないわな!



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