「面白い偶然 ~ 自分の生年月日と生誕地にみる」
1932年生まれの母は、僕を産んだ年に 24歳になった。
1924年生まれの父は、僕が生まれた年に32歳になった。
32年と24年。足すと56年になる。
僕が生まれたのは、1956年である。
父の生年は大正13年である。
母は申年の6月16日に生まれた。
僕は申年の3月13日に生まれた。
鹿児島中央高校から高麗橋へ向かう途中に「偉人生誕地」を指し示す矢印付きの道標が立てられている。
それを右に行くと、 西郷隆盛の 生誕地があり、
すぐ左には、わたくし「めどう」の生誕地がある。
西郷さんのあだ名は 「(うどめ)さぁ」であり、
それを左右逆転させると「めどう」になる。
「めどう」とは、英単語「meadow」の発音をひらがな表記したもので、西郷さんのあだ名「うどめ」の逆さ読みとは、本来無関係である。
これらは単なる偶然であり、そこに特別な意味などない。が、単純に面白いとは思う。
それ以上でもそれ以下でもないことは言うまでもない。
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※[続 日本人の英語/マーク・ピーターセン 岩波新書]より
― 英語の美しい言葉の中で、“meadow”という名詞がベスト・ワンくらいではないかと思う。和訳されると、よく「草地」などと、とくに美しくは思えないような日本語になってしまうが、英語としての meadow のイメージは、鬱蒼とした森の中に、樹木の生えていない、明るい空間がある。そこにはいろんな種類の草もあれば、野の花もあちこち咲いている。土はやわらかそうで、ところどころ水のせせらぎが聞こえてくる。その平穏の中に暮らしている小鳥たちのところに、仔鹿も遊びにくる。よく見ると、バンビだ。
それが“a meadow”である。
これを読んで、その響きと共に一遍で気に入ってしまい、そのままステージネーム及び通称として使っている。