「無邪気」という曲名について ~ 「ブルグミュラー25の練習曲」
ブルクミュラーの「25の練習曲」の5番目に「無邪気」というタイトルの曲がある。
「無邪気」という言葉には、3歳ぐらいの子供が、ニコニコと笑いながら、ちょこちょこと歩き回っているような、そんな感じのイメージがある。
この曲を知らない人は、このタイトルからどんな曲を思い浮かべるだろう? 2拍子か3拍子の、少し速めの跳ねるような明るく楽しい曲が思い浮かぶのではないだろうか?
ところが、ブルクミュラーの「無邪気」は、流れるような穏やかな曲想である。速度標語は Moderato(中ぐらいの速さで)となっており、曲頭に示された発想標語は grazioso(優雅に、気品を持って)である。
「無邪気」「中ぐらいの速さ」「優雅に」。
日本語に訳されたこの3つの言葉は、イメージ的にちょっと結びつきにくい。
「無邪気」という題の曲を、何で「気品を持って優雅に」弾かなきゃいかんのだ?
長野にいたころは、ピアノ教師の仕事もしていて、実際この曲を教える機会も少なくなかったので、この疑問について調べてみた。
元のタイトルは、フランス語の Innocence 。それを和訳したのが「無邪気」である。
仏和辞典を引いてみると、Innocence という単語の日本語訳には、「無邪気」の他に、「清廉潔白」、あるいは「無罪」という単語までが当てられている。
つまり、
Innocence=無邪気 ではなく、
Innocence>無邪気 というわけだ。
日本語の「無邪気」という言葉にしても、本来の「邪気が無い」という意味から、ある方向に偏ってイメージが膨らんでいるように思う。
このガラパゴス的進化の道を辿った「無邪気」という日本語は、この曲には、すでに相応しくないのではないか?
曲のタイトルは、その曲のイメージを掴むための手がかりになるものだが、「無邪気」と訳してしまうと、むしろイメージ的混乱を招くのではないだろうか?
それよりは「きれいな心」みたいな感じのほうがが良いと思う。