「なんとなく親しみを感じる人 」
もう20年以上前のことになるが、2年ほど、パンの営業販売のアルバイトをしたことがある。
ある日のこと、販売車を運転していると、携帯電話ショップが目に入り、立ち寄ってみることにした。
カウンターにいた若い女性店員に用件を伝えると、快く聞き入れてくれ、責任者を呼びに奥のスタッフルームに呼びに行ってくれた。
二重瞼の大きな目、席を立つ直前にちょっとだけ浮かべた笑顔の人懐っこさと対応の速さ、動作の軽やかさが、さわやかな印象を残した。
呼ばれて出てきた女性店員と話をして、週に一度訪問販売することになった。
以後何度か足を運んでいるうちに、最初に対応してくれた女性が、曜日によっては別な営業所にいることや、もう一人の店員さんの性格に関する情報をさりげなく教えてくれたりと、最初に感じた好印象そのままに、親近感が増していった。
仕事中長々と話し込むわけではないのだが、何気ない二言三言の会話の中に、ふとプライベートな話題が混ざる。
好きな口紅の色とか、お母さんが甘いものが好きだとか、この前の休日は風邪気味でずっと家にいたとか、会うたびにそういった軽い一言が積み重なり、次第に心の距離が縮まってゆくのを感じていた。
出入りするようになって3ヶ月ぐらい経ったころだっただろうか、その女性から転職することを告げられた。
「辞めちゃうんだ。寂しくなるねぇ」
自然に、そんな言葉が出てきた。
「新しい職場は、出入りできそうなの?」
「うん、たぶん大丈夫だと思う。来てみてね」
** **
彼女が教えてくれた新しい職場は、ガソリンスタンドだった。
携帯ショップの制服姿とは違い、ツナギに身を包んだボーイッシュな姿。着ている服によってこうも印象が違って見えるものかと驚いた。
何度か訪問しているうちに、
「あたし、夜の仕事もしてるから」
という言葉を聞くことになる。
― なるほど! ―
彼女の親しみやすさは、その、もう「ひとつの仕事」から来るものだったのか・・・。携帯ショップの店員さん、ガソリン・スタンドの店員さんと、それまでにも場所によって少し違った面を見てはいたのだが、さらにもう一つの顔もあったとは!
しかし、とっさに返した言葉は、
「へえ、そうなの!」
それだけだった。
その先に興味が無かったわけではない。むしろその逆だったのだが、いきなり根掘り葉掘り聞くのもためらわれた。
その次の次くらいの訪問で、ようやく彼女に訊くことができた。
「確か、夜の仕事もしてるって言ってたよね?」
「うん、そうだよ」
「稼いでるねぇ!」
「だって、あたし親も看てるんだもん」
そこで、また彼女のイメージが微妙に変化した。車での移動中、彼女のことを思い出すことが増えていた。
恋愛の対象として見ていたわけではない。それまで何となく心に描いていた、いわゆる「タイプ」ではなかったし。年も一回り以上離れていた。
勤め先のスナックを訪ねたのは、それからずいぶんかなり時間が経って、長野県を離れることが決まってからのことだった。
ガソリンスタンドで働いている姿は、サバサバとした喋り方や動作など、女性らしい艶っぽさからは程遠い感じで、夜どんな感じで接客しているのか想像もつかず、その様子を一度は見てみたいと思っていた。
そんなわけで、教えてもらった店名を頼りに、街角に立つ客引きさんに訊いたりして、その店にたどり着いた。
** **
そこには、いつも見ていた彼女とは別人の姿があった。ガソリン・スタンドに初めて行ったときもそうだったが、これには、またまた驚いてしまった。
― いやいや、お見逸れいたしました。―
若い女の子が数人働いていたが、彼女はその中でも明らかに中心的な「ママ」的存在。ドレスアップし夜向けのメイクに身に包んだ彼女は、昼間の姿とはまるで別人かと思うほど華があった。
内心の驚きを隠して、「来たよ」と、軽い挨拶をすると、それまで聞いたことのない華やいだ声が返って来た。
「わあ、来てくれたんだぁ! こっちにも来てくれるとは思ってなかったぁ。ありがとう!」
「当たり前じゃん! お店の名前まで聞いて、来ないっていうのはちょっと冷た過ぎっていうもんだよ」
「お店の名前教えたの、ずいぶん前だったよね。よく覚えててくれたねぇ」
「忘れないように、ちゃんとメモしてあったからね」
というのは嘘で、メモ無しではっきり覚えていた。
昼間の愛嬌たっぷりの顔とは違った大人の顔。ドレスとラメ入りのアイシャドウも素敵だったが、それ以上に彼女自身の存在自体が輝いていた。
「なんか別人だねぇ。綺麗でビックリ! 馬子にも衣装とはよく言ったもんだ」
「ひど~~い。帰っていいよ。出口はあちらでございます(笑)」
「あらら、いきなり怒られたか」
「ウソウソ。ゆっくりしてってね」
「うん、今日は、楽しませてね。だけど、たぶんこれっきりだし、いつものお客さんを大事にしてね。俺のことは放っておいても良いよ」
と、ちょっと格好付けて、カウンターの隅っこに席を取り、隣にいる客と話したり、たまにカラオケ用マイクを握ったりしながら、少し離れた席から彼女の活き活きした仕事ぶりを眺めていた。
客の様子を見ていると、そのほとんどが彼女目当てで来ているのがわかった。彼女のオーラに引き付けられ、その姿をまぶしそうに、憧れのこもった目で見ている。カリスマと化している彼女の姿に驚き、それが嬉しくもあった。
プライベートの彼女を見ているわけでもないのに、昼間の姿や、親の暮ら しを支えていることを知っている分だけ、他の客よりちょっとだけ距離が近いみたいな、遠い親戚のような気分にもなっていた。年も親子ほど離れているので、何か保護本能とでも言えるような感覚も働いてもいた。
携帯ショップやスタンドでの姿をフラッシュ・バックさせながら、源氏名で呼ばれている彼女の華やいだ姿をカウンター越しに見ているのは、ちょっと不思議な楽しさがあった。
20代、30代のサラリーマン風の客が多く、数人で連れ立って来ている客がほとんど。それぞれの集団で固まっていて、日ごろ自分が友達付き合いをしている個性的な人種とはちょっと毛色が違っていた。聞こえてくる会話は、ほぼ職場での話題で、その合間に斜めの視線で女の子たちの気を引くような言葉をかけている。そんな様子が可愛くもあった。
なんとなく違和感をぬぐえないまま、約1時間。潮時を感じ、
「ありがとう! 今日は楽しかったよ。来てよかった」
そう言って席を立つと、彼女が外まで出て見送ってくれた。
「昼間の姿は、全然色気無いから、正直言ってどんな感じなのかって思ってたよ」
「そうでしょうねぇ、うふふ」
「だけど、すごい人気だね。みんなあなた目当てで来てるじゃん。ここで見るあなたはほんとに魅力的だねぇ。この様子だと大丈夫どころじゃないね。正直びっくりしたよ」
「そうでしょう?」
彼女は目を細めてほほ笑んだ。
「なんか客層見ると、俺はちょっと浮いちゃう感じだね。空気が違う」
「うん、なんか他のお客さんと違う。みんなアタシに会いに来てるけど、こっちにしてみれば正直ちょっとつまんないんだ。でも、そういう人たちと違って、アタシのこと考えて来てくれたっていう感じで、嬉しかった」
その言葉に、ちょっと心がくすぐられた。
夜の歓楽街。酔っていることもあって、なんだか潤んで見える彼女の目を間近に見ていると、一瞬恋人であるかのような錯覚に陥った。
そのまま黙ってお互いの顔を見ているうちに自然に顔が近づいていた。彼女もこちらを見つめたまま顔をそらさない。
― おっと、これはちょっといかん ー
ふと我に返った。
もうすぐ年老いた両親のいる鹿児島に帰るし、これから付き合うつもりもない。
照れながら小さく笑うと、彼女も笑みを浮かべた。
「ふふ!」
「じゃ、元気でね」
なんとなく後ろ髪引かれながら、手を振ってその場を後にした。
こちらの姿が見えなくなるまで、お店の前に立って見送ってくれた立ち姿が、今でも忘れられない。
(2023年 9月)