「赤いスイートピー ~ 初デートの淡い思い出」
まだ音大の学生だった頃、夏休みに帰省した際に、高校時代の同級生に、ドライヴにでも行かないかと誘われたことがあった。鹿児島市から国道225号線を南下、錦江湾を左手に見ながら、あてもなく指宿から山川あたりまで行ったのではなかったかと思う。かつて自転車で移動していた頃感じていた指宿までの距離が、随分近く感じられたのが意外だった。
その友人とは、かつてロックの話をあれやこれやとしたものだったが、その日、そいつがカーステレオで流したのは、日本人の若い女性歌手の歌だった。
20世紀後半の前衛音楽をあれこれと聴いていた頃である。その当時は、アイドル歌手などは全く眼中になく、売らんがための安っぽい音楽だと思っていたので、反射的にこんな言葉が口をついて出た。
「おい、歌謡曲かよ」
「悪いな。今日は、これしかないんだよ」
「いつからこんなの聴くようになったのか?」
「最近、ドライヴするときは、大抵これを聴くんだよ」
「君も変わったな」
一瞬不満を露わにしてみたものの、そいつは気にとめる風でもない。仕方が無いので、聴くとも無く何となく聞き流していた。
しばらくすると、そう悪くもないと思えてきた。メロディー・ラインやコード進行が、それまで知っていた歌謡曲とは違って新鮮に聞こえたし、アレンジのセンスも良いと思った。そして歌も悪くない。
「意外といいね」
「いいだろ」
天気の良い日だった。風を感じながら海岸通りを走る気分と、曲から伝わってくる気分がまたよく合っていた。
歌詞を聞きながら、高校時代のある日のことを思い出していた。
― 春色の汽車に乗って 海につれていってよ
タバコのにおいのシャツに そっと寄り添うから
卒業が近づいた春休み、友達から紹介されて、同じ高校の同学年の女の子とデートしたことがあった。お互いに、デートなんて全然慣れていなかった二人、汽車に乗って、どこかへ行こうかということになり、選んだ先が漠然と「霧島方面」だった。
どこの駅で降りたのかも、よく覚えていない。駅周辺を2人で歩いて、また駅に戻り、帰りの列車を駅のベンチで待った。
― 4月の雨に降られて 駅のベンチでふたり
他に人影もなくて 不意に気まずくなる
2人でわけもなく緊張し、各駅停車の列車に乗り、交わす言葉も少なめに、ただ往復しただけのデートだった。
横でハンドルを繰っていた友人には、そんなことを思い出していることなど全く話さなかった。今だったら、そんなことぐらい気楽に話せるが、二十歳前後だった当時としてみれば、まだ昔の事というほど遠いことでもなく、気恥ずかしくて、とても口に出せなかった。
曲名は知らずに聞いていたが、その時聞こえていたのは「赤いスイートピー」や「渚のバルコニー」だった。たぶんアルバム「パイナップル」を流していたのだと思う。
それらの曲を作曲した呉田軽穂が、実はユーミンのペンネームだということも、後になって知った。アルバム収録曲のソングライター陣には、作詞・松本隆、作曲・来生たかお、原田真二、財津和夫らが名前を連ねている。
それ以前はもちろんのこと、それ以後も松田聖子という歌手のミーハーなファンだったことはないが、その日以来、ただのアイドルとはちょっと違う捉え方をするようになった。並外れた才能を持つシンガーというわけではないが、艶のある声と豊かな表情には独特の魅力があると思う。
その後発表した「瑠璃色の地球」なども、偶然カーラジオで耳にして強く印象に残っているが、その後の活動については、週刊誌的なゴシップをちょこちょこ耳にする程度で、詳しい活動についてはよく知らない。