「白銀坂を訪ねて ~ 古い日記より」
平成19年3月25日 日曜日
趣味というほどではないが、名所旧跡を訪ねるのが好きである。
今日は、姶良町脇元にある「白銀(しらかね)坂入り口」に行ってきた。
大口筋白銀坂
姶良町脇元から吉田牟礼ヶ岡までの石畳の坂道。古代から近世における薩摩国と大隈国の国境だったところで、戦国時代には、たびたび戦場となった。
江戸時代には、薩摩藩の参勤交代の主要街道「大口筋」として多くの人々に利用され、歴史上重要な街道として歴史国道にも指定されている。
道のり2867mで、高低差が300m以上もあり、昔から難所となっていた。中腹には「七曲り」といわれる急勾配の箇所に石畳が敷かれ、現在でも当時の面影を残している。
今日は、入り口の数百メートルを歩いただけだったが、難所として知られていただけに、驚くような急勾配の箇所もあった。
昔の人々の健脚ぶりが偲ばれる。
なお、竜ヶ水を通る現在の国道10号線は、1873年明治天皇行幸に際して突貫工事で造った新道。
この付近には姶良カルデラ壁が聳えており、しばしば土石流災害が発生する危険区域。1993年の豪雨災害で、夜間、海上からの救出騒ぎがあったことは記憶に新しいところ。この付近では10年弱に1回は犠牲者を出すような大災害が発生している。