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体験小説「チロル会音楽部 ~ ロック青春記」第17回*レコードショップ《学習館》のお姉さん

 学習館にあったのは、オリジナル・アルバムではなく、東芝の企画モノ『ポピュラー白銀シリーズ』の中の1枚で、『ナイス・ナイセスト!』というタイトルの国内編集盤。銀紙で覆われたジャケットの中央に、横長のはがき大の写真があしらわれているという、味気ないアルバムデザインだった。しかし、そういった企画モノがあったおかげで、鹿児島でもナイスのアルバムを手にとって見ることができたということでもある。

 売り場で最初に見た瞬間は、それがナイスのアルバムだとは気付かなかった。オリジナル・アルバムのジャケット写真は皆頭に入っていたので、まさかそれが、あのザ・ナイスのアルバムだなどとは考えもしなかったのである。
 『白銀シリーズ』の一群を一通り見終わったあと、ジャケットに記されていた「ナイス」という文字が、なんとなく気になり、再度よく見てみると・・・、

 ― え? 中央の写真に・・・、

   キース・エマーソンの姿が、

   写っているではないか! ―
 
 両手に取って、まずはため息。そしてジャケットを反転させ、曲名を見ると、レコード屋の視聴で、末原君の阻止によって冒頭しか聴いたことのない『夢を追って』も収録されている。そして、憧れの『ロンド69』も入っていた!! 
 『ロンド』は、ナイスのライブでは代表的なナンバーで、キース・エマーソンがテクニックを見せびらかすように弾き捲くり、クライマックスではオルガンにナイフを突き刺すということを、音楽雑誌を見て知っていた。

 学習館というレコード・ショップは、試聴はさせてくれたが、「選択のためなら」という条件付きだった。つまり、「買わずに聴くだけという行為はご遠慮ください」という方針を貫いていた。
 所持金は、アルバムの価格に届かない。これでは聴かせてもらえない。

  ― しかし・・・、

   今、目の前に・・・

   ナイスのアルバムがある。

   聴きたい・・・

   今、聴きたい。

   どうしても聴きたい!

 そんな気持ちを押さえられなくて、店員さんに願い出た。

 「すみません。このレコードを聴かせて欲しいんですけど、今お金が無いんです。あとで絶対買いに来ますから、お願いします」

 生徒手帳を差し出し、名前と住所を控えてもらいたいと頼み込んだ。
 
 すると、その若い女性店員さん、

 「あなたは顔を知ってるからいいよ」

 と笑った。

 たぶんその時、僕は祈るような表情をしていたのではないかと思う。

 「奥に売場に置いてあるステレオを使ってね」
 「え? あ、どうも・・・」
 「これ、他の人が買わないようにこちらに置いておくから、聴いたら持ってきてね」

 心は狂喜乱舞である。

 オーディオ機器の売り場は、店の奥に配置されていて、使って良いと言われたステレオは、その左側手前にあった。当時良く見た木製の家具みたいなでかいやつだ。ターンテーブルに盤をセットし、そして真っ先に聴いたのが『ロンド69』だった。音楽雑誌で「怒涛のようなオルガンプレイ」と紹介されていた曲だ。

 いよいよ、その音に接することができる。これはもう、聴く前から冷静ではいられなかった。

 フィルモア・イーストでのライヴ録音。会場MCが、ザ・ナイスを紹介すると拍手が起こり、アップテンポでベースのリフ、それに続いてドラムが入り、勢いよく始まった。
 いきなり聴こえてきたハモンド・オルガンの派手で鋭角的な和音。

 ところが・・・、

 その音程が揺れながら落ち始めた。

 ― あれ? レコードの回転が止まった・・・ ―

 これには実際メチャ焦った。無理を言って、展示品のステレオで試聴させてもらっている。変な扱い方をしたつもりはないのに・・・。

 それも一瞬のことだった。ターンテーブルではなく、実際に、オルガンの音程が揺れていたのだ。演奏は止まることなく続き、その後、破壊的なノイズや地を揺らすような低音のクラスター(音塊奏法)、そして煮えたぎるような効果音が聴こえてきた。その「煮えたぎるような音」とは、特殊なグリッサンド奏法なのだが、そんな音は、それまで聴いたこともなく、だから、一瞬何が起こっているのか分からなかった。
 聴く前から、ときめいて待ち受けているところに、原始的な混沌を思わせる、怒りを叩きつけるようなエネルギーに満ちた世界に、心をかき乱され、理性など吹っ飛んでいた。

 ― なんか、すっげぇなぁ・・・ ―

 そんな感想しか出てこなかった。

 ようやく聴けたナイスの音。誰かに止められない限り、自分から止めるなんていうことは有り得なかった。LP1枚分、すべて聴いた。十字屋で途中までしか聴けなかった『夢を追って』も最後まで聴けて満足。

 「ありがとうございました」
 「どうだった?」
 「いやぁ、凄かったです」
 「どんな音楽なの? ロックなんでしょ?」
 「ピアノとオルガンがカッコいいんですよ」
 「オルガンって、ハモンドオルガン?」
 「え? 知ってるんですか?」
 「ジミー・スミスが弾いてるやつでしょ? ロックでも使うのねぇ」
 「わぁ、良く知ってますねぇ」
 「だって、ここはレコード屋だもん。ジャズのレコードだって扱ってるよ」 
 「あぁ、そうですよねぇ」
 「色々覚えるの大変なのよ。勉強するのは学生だけじゃないのよ」
 「そうなんですか」
 「じゃあ、あなたはオルガンを弾くの?」
 「はい、プロになりたいんです」
 「頑張ってね。このレコードは、他の人が買わないように、ここに置いておくからね」

 こうして入手したザ・ナイスのレコードから、早速コピーを開始。最初に手を付けたのが、十字屋で最初の部分だけを視聴した『夢を追って』だった。

 こんな具合に、あの学習館の店員さんには、情報を教えてくれたり、店に内緒で目一杯視聴させてくれたりと、本当にお世話になった。
 ナイスのレコードをオーディオ売り場のステレオで視聴させてくれたのも、店側には内密の個人的裁量だった。そんな事情にも気づかない中坊。それからしばらく経ったある日、勝手に視聴しているところを上役の男性店員に見とがめられ、こっ酷く説教された。

 「あのときは、店に私しかいなかったから良かったんだけど、今日は上の人に見つかったから、聴かせてあげたいけど、もう店のステレオは使えないよ。そしてら今度は私が怒られるからね・・・」

 お姉さんは、怒るでもなく、ただ残念そうな顏でつぶやいた。

 あんな店員さん、他にはいなかったなぁ・・・

  **  **  **

 すでにナイスを解散させていたキース・エマーソンは、この年の6月、新グループ、エマーソン、レイク&パーマーを結成し、8月にはワイト島・ポップ・フェスティバルに出演しているのだが、まだその情報には触れていなかった。

ザ・ナイス時代のキース・エマーソン(写真中央)



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