「どんな色がすき」はサイコ野郎が作った童謡だ
どんないろがすき(あか)
あかいいろがすき
いちばんさきに なくなるよ
あかいクレヨン
これは「どんな色が好き」の冒頭の歌詞だが、この4行だけでも作者の残虐性がわかる。
まず子供にどんな色が好きなのか聞き、
子供自身に答えさせ、
それが無くなる悲しい事実を伝えて終わる
という計画的で極めて卑劣な4行だ。
確かに、好きな色のクレヨンはなくなるが、それを伝えたい歌なのであれば
「僕は赤い色が好き だから クレヨンがすぐなくなっちゃった」という感じの歌詞にすればいい。
にもかかわらず、作者はわざわざ子供に好きな色を問いかけ、子供の口から答えさせているのだ。
もしかすると「子供とのコミュニケーションを生み出す仕掛け」として作者は「問いかけ」を歌詞に盛り込んだのかもしれない。
しかし、仮にそうするなら最後の2行は不適切だ。
「なくなる」という事実だけを伝えて、なんの解決策も示さないまま終わっている。
どんないろがすき(あか)
あかいいろがすき
おじさんが かってあげようか
あかいクレヨン
とかにすべきだ。
子供を一歩ずつ崖際に追い詰めていく
子供から希望を奪うときに用いられる色は赤だけではない。
歌詞の続きを見てみよう。
どんないろがすき(あお)
あおいいろがすき
いちばんさきに なくなるよ
あおいクレヨン
どんないろがすき(きいろ)
きいろいいろがすき
いちばんさきに なくなるよ
きいろいクレヨン
どんないろがすき(みどり)
みどりのいろがすき
いちばんさきに なくなるよ
みどりのクレヨン
そう、赤だけでなく、青、黄色、緑までもが作者に利用されているのだ。
特に「黄色」というチョイスはとても残酷だ。
絵の具の三原色といえばシアン・マゼンダ・イエロー。
このうち、マゼンダとイエローを混ぜると赤ができる。
そう、運命に抗い「赤」を生み出そうとしている子供から肝心のイエローを奪っているのだ。
これは「混ぜ合わせて好きな赤をつくろうとしても、今度は混ぜ合わせる色のクレヨンがなくなるから、お前らは何をしてもムダだ」という作者のメッセージである。
子どもたちの感情を逆なでする作者
赤、青、黄色、緑ユーザーの子供たちの心を傷つけた後、作者は驚くべき行動に出る。
歌詞の続きを見てみよう
いろ いろ いろ いろ
いろんないろがある
いろ いろ いろ いろ
いろんないろがある
急に、リズミカルに同じ言葉を繰り返し始めた。
おそらく、悲しむ子どもたちを前にダンス的なことをしているのであろう。
「君たちの好きな色、なくなっちゃうね~♪」という挑発だ。
ちなみに、このパートのメロディは、曲をまとめにかかったメロディとなっている。
いろんないろがある (チャンチャン)
といった感じに曲が終わりそうなのだ。
紫やピンク、金色が好きな子供たちは「助かった」と安堵していることだろう。
絶望へ
しかし、曲は終わらない。
キーが上がり歌が続くのだ。
歌詞の続きを見てみよう。
どんないろがすき(ぜんぶ)
ぜんぶのいろがすき
みんないっしょに なくなるよ
ぜんぶのクレヨン
鬼畜の所業だ。
最初からすべての子どもたちを地獄に突き落とすつもりだったのだ。
にもかかわらず、赤、青、黄色、緑を、ひとつひとつなぶり殺しにし、曲が終わるようにみせかけた。
そうして他の色が好きな子供たちに希望を与えたところで、皆殺し。
そう、作者は最大の絶望を味あわせるために希望を抱かせたのだ。
発想がサイコパスとしか思えない。
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