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恒例行事

台所で父が、生すじこをほぐしている。
この時期の恒例行事だ。

秋になり、魚屋にすじこが並び始めると、父はそれを大量に買ってくる。
そして、ひたすらにイクラの醬油漬けを作っていく。
台所だけでなく居間のほうにまで、生臭さと醤油の香りが漂ってくる。
ビンから溢れそうなくらいに詰めたイクラの醬油漬けを、全部で10個ほど作る。毎年そうだ。
一部は冷蔵庫に、残りは冷凍庫に。
これで我が家の1年分のイクラの醬油漬けができた。
一番好きなご飯のお供がたっぷりできて、私は食事が待ち遠しくなる。

父は、頑固一徹な昭和人というほどではないが、戦後ベビーブーム世代の平均程度には家事をしない。
父が台所に立つのは、月に一回気まぐれにミートソーススパゲティを作る時と、秋のイクラタイムくらいだ。
そんな父の背中を、私は見ていた。

何年か前に父が余命宣告をされるような病気になった。当時宣告された余命はとっくに過ぎているが、治ったわけではない。
食事に気を付けたほうが良い病気ではあるが、特に節制もしていないので、たぶんもう長くない。
「我慢して長生きするより、楽しく早死にするほうが自分にも周りにも苦労が無くて良い」
そんなことをあっけらかんと言う父だ。
そんな父から、私は父からお酒と肴の楽しみ方を教わったように思う。

成人式の前日、近所の赤ちょうちんに連れて行ってくれた。
いろんなことを話した、と言いたいが、どこかよそよそしさが無くならないまま、静かに二人でお酒を飲んだ。

その十年後の成人の日、父は亡くなった。
病院で眠るように亡くなったそうだ。死に目には会えなかった。
葬儀を終えて、実家で一息ついていると、母が言ってきた。
「あんた、イクラ持って帰る?お父さんが最後に作ったやつだけど、何を間違えたのがすごくしょっぱくて。あんたがいらないなら捨てちゃうけど」
「いや、持ってく。ありがとう」

日付が変わる頃に自宅に帰り、保冷袋を開けると、イクラはまだ少し凍っていた。
炊飯器には4日前のご飯が残っていた。乾燥して固くなったご飯をしゃもじでガリガリ剥がして、釜を洗って、朝6時に炊き上がるようにセットした。

翌朝、炊き上がったお米を茶碗に盛る。
湯気に窓から差し込む朝日が当たり、キラキラと虹色の小さな粒が輝いている。
夜のうちに解凍されたイクラをご飯にかけて食べる。
予想以上にしょっぱかった。
食べきろうと思った。

その年の秋から、私は自分でイクラの醬油漬けを作るようになった。
調味料は、目分量のさじ加減なせいか、毎年少しだけ味が薄い。
しょっぱいイクラの醬油漬けは、父が亡くなった冬以来食べてない。


キッチンで私は、今年も生すじこをほぐしていく。
この時期の恒例行事となった。




七緒よう

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