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こどもの日

 ごく普通の住宅街の袋小路になった突き当りにその扉はあった。
『13歳以上、お断り』
 先週12歳になった僕は、2歳年下の先輩から教えてもらってようやくここに来ることができた。
 扉の隣についているベルのボタンを押すと、インターホンから女の子の声で返事があった。
「はい、どちらさまですか」
 僕は先輩から教えてもらっていた通りに答える。
「こどもだから、よくわかりません」
 少し間があって、インターホンからまた声が聞こえた。
「いま、いくつですか。最新の身分証をカメラに見せてください」
 僕は財布から先週届いたばかりの身分証を取り出し、カメラに向ける。また少し間があって、カチャっと鍵が開いた音がした。どうぞ、という声が聞こえてインターホンのランプが消えた。
 僕は緊張しながらドアノブを引き、ドアを開ける。
 玄関には靴はなかった。シューズボックスの上には、花を模した消臭剤があり、柑橘が混じった甘い匂いが玄関に漂っている。奥の部屋から話し声が聞こえてくる。
 上り框(かまち)には、「靴はシューズボックスへ」と書かれたボードが置いてある。
 靴をしまって家に入り、声のする方へ進んでいく。奥の扉を開けると、リビングダイニングのような部屋に4人のこどもがソファに座り、缶ビールを飲んでいた。
 そのうちの唯一の女の子がこちらを見て声を掛けてきた。
「ようこそ。料金はそこの箱に入れてね。あとはお酒を飲んでも煙草を吸ってもいいし、好きに過ごしていいよ。あ、煙草はそこから庭に出て、外で吸ってね」
 僕は笑顔を作って頷くと、財布から1万円札を2枚取り出して箱に入れてから冷蔵庫を開けて缶ビールを1本取り出した。

 発端は今から100年前とも60年前とも言われている。
 そのウイルスは、一握りの大富豪がある生物の特徴を組み込んで作られたらしい。当初は感染力が皆無だったそうだが、富豪たちの体内で変異し、空気感染するようになった。
 富裕層から感染が広がり、今では人類の99%以上が感染していると言われている。
 アンチエイジングウイルス。通称AAウイルスは、文字通り「年を取る」ウイルスだ。感染時の年齢から、日々成長が逆行していく。
 60歳で感染したら、20年後には見た目も体の機能も40歳になる。20年分の年齢を取られてしまう。そして、その進行が止まることはない。
 最初に感染した富豪たちは、どこか悟ったような顔をした赤ん坊となって亡くなった。
 感染が広がってしばらくは、先進国を中心に人口増の期間があったが、増加のカーブは徐々になだらかになり、今では下降曲線となっている。
 研究により、ウイルス自体は無害で、なおかつ、どれだけ長くても12年しか生きられないことが分かった。若返りを引き起こすのは、ウイルスの死骸だ。この死骸は、排出されずに体内に残り続け、人間のDNAと結び付いて書き換える。
 そのため、生後間もない赤ん坊にも感染するが、12歳になるまでは症状の進行より成長の方が強いので、普通に成長する。それはつまり、12歳までしか体も心も成長しないということでもある。そこから先は、大人たちと同様に若返っていってしまう。
 このウイルスのせいで世界中にこどもが溢れているが、当然こどもを育てるのもこどもで、しかもほとんど妊娠もしないため、人類はゆっくりと滅亡に向かっている。
 かろうじて残った20代から30代の高齢者が、こどもも労働者として社会参加させることでなんとか社会の仕組みを回している。ただ、徐々に思考力も落ちていくため、機能しなくなるのも時間の問題だった。

 2歳年下の先輩から教えてもらったこの『こどもクラブ』は、全国各地にあるらしい。紹介でしか辿りつけず、仮に見つけても合言葉を知らなければ入ることができない。
 僕は女の子と乾杯して、8年ぶりのお酒を口に入れた。
「苦っ。ビールってこんなに苦かった?」
 記憶の中にあるビールは、苦みだけでなく、もっと複雑なコクとうま味があった気がする。こどもばかりの世界になっても、お酒と煙草は20歳からだ。健康上の理由から法改正がされていないが、売上が極端に減ったせいでこの国の税収はかなり落ち込んだ。
「ハタチから飲んでない人は、みんなそう言うわ。ビールって大人の味よね。だから、ほらあたしたちはチョコレートと一緒に飲んでるの。あなたもどう?」
 女の子は慣れた様子でボウルに入ったアルファベットチョコを差し出してくれた。
「ありがとう。こんなに苦いとは思わなかった。これならカルーアミルクとかの方が良かったかも」
「ふふ、ごめんね。そんなおしゃれなお酒は今うちに置いてないの。また来てくれるなら仕入れておこうかな」
「昔バーでバイトしてたから作ってあげるよ」
「やったー!ねえねえみんな、この人昔バーで働いてたんだって」
 女の子がTVゲームをしている3人の男の子に声を掛ける。
「すごいじゃん!もし定年してるならここで働いたらいいんじゃない?」
 男の子の一人がTVから目を離さずに答えた。
 僕は少し恥ずかしくなって、曖昧に笑っておく。
12歳定年が一般的だが、僕は延長雇用されている。
ゲームをしていた別の一人がこちらに振り返って話しかけてきた。
「そうは言ってもお酒は段々作られなくなってきたし、いつまでここも続けられるか分からないよな。おれなんか7歳だし、そろそろ色々考えておかないと。キミ、幼少期の過ごし方とか考えてるの」
 僕は、今はまだ何も考えてないと答えた。
 女の子はチョコのボウルを持って、ゲームをしてる3人にもチョコを配り始めた。
「あたしはさ、そういうのが良くないと思うの。だってさ、大切なことや大事なことって、こどもでも理解できるくらいシンプルじゃない?理屈をこねくり回して考えないと大事なことが分からないなんて、ダサい大人の発想だよ」
 女の子はまた僕の隣に座ると、テーブルに残っていたうまい棒を開けた。
「僕もそう思います。こどもになるほど考え方がシンプルになっていくような気がしますね。たぶん、人類はこどもの頃にそのことに気づけなかったから、こんなことになってるのかもしれないですね」
 僕はお皿に残ったよっちゃんいかをつまみながら言った。
「そうかもな」
 振り返っていた男の子が焦点の合わない目をして呟いた。

 一口だけ飲んだビールの残りをシンクに捨て、缶を片付けてから僕は予定があるからと言って、『こどもクラブ』を出た。
 角を曲がると、2歳年下の先輩と数人の大人が僕を待っていた。
「どうだった?」
 先輩が聞いてくる。僕は頷いて、今ですとだけ答えた。
 それを聞いて、先輩たちは『こどもクラブ』に向かっていった。
 すぐにドアを無理やり開ける騒々しい音と「警察だ!動くな」という怒鳴り声が聞こえてきた。

 歩いて署に戻る途中で、公園を通りかかった。
 高校生くらいの男の子が、はしゃぎながら遊ぶこどもたちを見ている。家族の形も今や崩壊しつつある。
 公園の隣に建つ家のベランダに国旗とこいのぼりが立てられているのが見えた。
「ああ、そうか。今日は祝日だったか」
 こどもの日の青空はどこまでも青く広がっていた。




七緒よう

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