地図を編む
「地図を書き換えていくような仕事がしたいです」
二十年前、私はそう言って、地方のゼネコンに就職した。就職氷河期と呼ばれた時代に、希望の業種に就けたのは幸運だったと思う。
食堂の壁には、新潟市と佐渡の地図が掲示されている。地図上にいくつかピンが刺してある場所がある。うちの会社が現在請け負っている工事の現場だ。港湾関係の仕事が多く、ピンは海岸沿いや河口付近が多い。会社も港のそばに建っている。
刺さっているピンの中に、私が関わった工事は、一つもない。
会社に不満はない。むしろ満足度と充実度は高い。福利厚生もしっかりしているし、給料も業界平均より上だ。それでも、キャリアのほとんどの期間を事務方として過ごしてきた事実は、二十年前の自分に対する負い目になっている。そして、「地図を書き換える仕事」を諦めきれないでいる今の自分に対する不満になっている。
「高橋さん、何ぼーっとしているんですか。やる気が迷子中ですか?まあ、これだけあったかいと昼寝でもしたくなりますよね」
冷たくなっている鮭の切り身から声の方向に視線を向ける。同じ部署の後輩が少し心配そうに、こちらを見ていた。
「4月になったら、あったかいどころか夏みたいに暑くなったよね。考え事してただけだから大丈夫」
「決算業務で今けっこう大変ですからね。ぼーっとする時間も必要っすよ。じゃ、僕は先に事務所に戻ります」
ケータリングの弁当箱を片付けて、食堂を出ていく後輩の背中を見送ると、残りの鮭をご飯の上に乗せ、一緒にかきこんだ。
5年前に経理に異動になってからも、その前の人事部での採用の仕事もどちらも面白くないわけじゃない。むしろ結構やりがいを感じていた。ただ、どちらも「地図を書き換える仕事」ではない。ぼんやりとしていた「転職」の二文字の解像度が日増しに上がっていく。
事務所に戻ると、後輩がデスクに突っ伏して寝ていた。
(こいつ、本当に昼寝してる…。だから急いで戻ったのか)
私は、寝ている後輩を起こすように、わざと大き目の咳払いを一つしてから、パソコンを立ち上げた。
午後はいつものように潮風に乗ってやってくる眠気と戦いながら、なんとか残業せずに仕事を終わらせた。部下や後輩の手前、あまり残業をしないようにしている。
夕飯の洗い物を終えたので、先週から再開した『パトロール』の準備をする。何のことは無い。近所のジョギングを『パトロール』と呼んでいる。
学生時代に、陸上の中長距離を専門にしていたとはいえ、さすがに引退から二十年も経つと、昔の杵柄もとうに朽ちている。タイムを縮めるとか、ダイエットとかよりも、頭の中を整理するために夕食後に散歩がてら走ることにしている。
「この靴もそろそろ替え時かもな」
少しすり減っているけどすっかり足に馴染んだ靴を履いて玄関を開けると、終わりかけの沈丁花の甘い香りと肌寒い空気が入ってきた。まだ夜は少し冷える。
入念にストレッチをしてから、ゆっくりと走り始める。ふと空を見上げると、そこだけ穴が開いたように満月が昇っていた。青白く街を照らす光が余計に肌寒さを感じさせる。
現場で仕事をしたいという想いは、まだ妻にも話していなかった。
今の会社で、現場の施工監理に回ることは、正直難しい。反面、人手不足が常となりつつある業界として、施工監理はどこでも欲しいと思っているのは事実だ。選ばなければ、転職して施工監理になるルートはいくらでもある。ただ、それは選ばなければ、の話だ。つまり、給与や働き方を気にしなければ、ということで、それは妻や家族に大きな負担をかけることになる。
それは本意ではない。だけど……。
堂々巡りし始めたところで、いつもの折り返し地点まできた。ちょうど会社員としてのキャリアも折り返しに入ってくる。今日は、いつもより先まで行ってから折り返すことにした。すぐ隣をバスと桜の花びらが通り過ぎていった。
5月の大型連休を少し過ぎたあたりから、息子が朝に布団から出られなくなった。いわゆる五月病かと思って静観していたが、6月になってからも、学校にはほとんど行けていない。本人とも相談して、病院に連れて行くことにした。
いくつか病院を回って、最終的に息子は、適応障害と診断された。
医師の言葉が、ただの文字列となって宙に浮いている。「テキオウショウガイ」という音だけが頭蓋骨の中を何度も反響した。
次の一歩の置き場が分からなくなった。
何も分からなかったから、会社帰りに本屋で適応障害についての本を数冊買い、コミュニケーションの仕方やケアの方法を学んだ。医師からもアドバイスは聞いているが、それらの知識が本人と合っているかは分からなかった。
とにかく明るく乗り切ろうと決めた。家族全員が沈痛な顔になっても仕方ない。
学校の先生と話し合いながら、何とか学校に行けるようにしばらく見守っていたが、芳しい成果は7月になってからも出ていなかった。
「今日も蒸し暑くなりそうだから、水分しっかり摂るんだぞー」
朝、出がけに息子に声を掛ける。
「……うん。いってらっしゃい」
部屋の向こうから弱々しい声が聞こえる。
「今日の夕方、先生との面談があるんだけど、一緒に行けそうか」
「……やめておく」
(やめておく、か。行けない、じゃないんだな)
「分かった。お医者さんも今は休養が大事って言ってたし、無理はしなくて良い。お父さんが話してくるわ」
「ありがとう……」
その日の夜、起きていた息子も交えて家族三人で話し合いをした。学校で先生から出された選択肢は四つ。何とか頑張って学校に通うこと。一旦休学扱いにして、来年もう一度同じ学年でリスタートすること。退学すること。そして、他校へ転入すること。
いずれにしてもこのままでは、単位不足になってしまうので、何かアクションを起こしてほしいということだった。
息子は、ため息をつくように一つ大きく息を吐いてから言った、
「通信制高校に転入したい」
「理由を聞いてもいい?」
妻の質問に、息子が答える。
「僕はアートとかデザインとか、そういうことをしたい。漠然としているけど、今はそれが楽しいと思える。だから、専門学校に進学したい。でもそのためには高校卒業資格がいる。通信制高校なら、無理なくそれが手に入ると思う。
野球もさ、楽しかったけど、今は正直続けられない。僕にとっては、野球が学校や友だちとの接点だったから、それがなくなってしまっているなら、学校に行くモチベーションは低い。だから、ワガママ言うけど、見守ってほしい」
(見守る、か)
私は、まだ何か言いたそうな息子の言葉を待った。
「お父さんとお母さんが、僕のことを気にかけているのはよく知っているし、ありがたいと思う。僕だって学校には行きたい。野球部のみんなと甲子園だって目指したい。でも僕は、さっきも言ったように、そういうルートはちょっと無理そう。学校が嫌いなわけじゃないから、すごく悔しいけど。だから、今の環境と状況の中で、やれることと目指すことを決めてみた」
横で妻が鼻をすすっている。私はぐっと奥歯を嚙んでいる。声を出そうとしても、震えてちゃんと話せないのが分かる。
息子は、自分で自分の人生を受け容れ始めている。この子はもう、次の一歩の置き場を決めて、覚悟している。
「わかった。よくわかった。今まで無理をさせていて申し訳なかった。通信制高校に編入しよう。いいよね?」
聞くまでもないとは思ったけど、妻にも確認しておく。
ティッシュで涙と鼻水をおさえながら、妻は2回頷いた。
「ありがとう。お父さん、お母さん」
肩の荷が下りたような表情の息子を見て、私もなんだか安堵した。
その日の夜、久しぶりにすぐに眠れるかと思ったが、意外とそんなこともなく、結局アマゾンプライムでドラマを四話分一気に見てからようやく眠くなった。
案の定、朝は少し寝坊した。
急いで準備をしていると、珍しく息子が起きてきた。
「おはよう。体調は大丈夫か」
「おはよう。今朝はなんとか起きれた。けど、朝ごはんはいらないや」
「そうそう、昨日の編入宣言だけどな、あれ、結構効いたぞ」
まだ半分寝ているような表情の息子は、ぽかんとしながら小さく頷いた。
効いた。好きなことをそのまま追うだけが人生じゃない。置かれたところで、好きなことを見つけたっていい。できることをしたっていい。もちろん、やりたいことが出来る環境を選んだっていい。それは、「逃げ」じゃない。挑戦だ。現場で「地図を書き換える仕事」をしなくたって、普段から間接的にそれに関わっている。転職なんかしなくても、私は誰かの人生の地図を書き換えるようなこともしてきたじゃないか。
息子のおかげで、古くなっていた自分の「人生の地図」も新しく書き換わった気がした。まずは、一年。今の仕事にもっと誇りを持ってがんばると決めた。正直、自信はないけど。
玄関を開けると、さっきまで降っていた雨のせいで、蒸し暑くなった空気が流れ込んできた。空を見上げると、虹は出ていなかった。どんよりとした梅雨空だったけれど、無邪気な決意は固くなった。
「次長、何ぼーっとしているんですか。やる気が迷子中ですか?まあ、6月なのにこれだけ暑いとやる気もなくなりますよね」
昼休みに、窓の外を眺めていたら、後輩が声を掛けてきた。
「いや、まあ、考え事をね」
約一年前の家族会議をふと思い出した。
通信制高校に編入した息子は、いきいきと毎日を過ごしている。今ではアルバイトもしている。
私もあの日以来、置かれた場所で咲く、という目線で仕事を見直してみると、予想以上に事務方の仕事にやりがいを感じ始めた。
息子の生き方は、もしかするとイレギュラーかもしれない。その多様性を受け容れたとき、世界がより鮮やかになった気がした。
「そういえば、次長のお子さんのインスタ、フォローさせてもらいました。あのキャラクターを使ったグッズとか作るんですか?」
「そういうのは、専門学校に行ってからにするらしいよ。それから、次長って呼ばなくていいから。さっき辞令もらったばっかりで、まだ全然慣れない」
「いいじゃないですかー、次長!呼ばれてこそ慣れてくるんですよ。というわけで、今夜は昇進祝いってことで、あの行きつけのレストランで奢ってくださいよ」
「なんでお祝いされるほうが奢るんだよ」
仕事は、楽しい。それ以上に、人生が楽しくなった。
家族というのは、それぞれが歩んでいる世界を持ち寄ってできた地図のようなものだ。家族と過ごす日々は、それぞれの地図を一つの大きな地図に編み直す作業の積み重ねで作られているように思う。
湿り気を含んで蒸し暑くなった風が、窓から入ってくる。
風と一緒に気の早いセミの鳴き声も遠くから聞こえてきた。
七緒よう
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