甘さの中に響く
泣くように怒っている、いや、怒るように泣いているのか。彼女が私に訴える姿を自分でも驚くほど冷静に見ている。
(こういうとこなんだよな)
声に出さずに言葉にした感想は、口の中で何度も反響してから飲み込まれていった。
一週間ほど前に別れを切り出された彼女は、しばらく寝込んでいたらしい。そういえば、普段からメンタルが弱いというようなことを言っていた。さっきもこんなことを叫んでいた。
「そのつもりが無くても、私のよわよわメンタルだと、やっぱり傷付くことがある。それを知ってるはずなのに、あんな言い方するなんて、私には耐えられない」
弱さを強力な棍棒にして、ボコボコに殴ってくる。
公園の時計は、夜九時過ぎを示している。
二人が座るベンチは、夜でもランニングをする人がいるような公園にある。照明もちゃんとある分、それなりに人も虫もいる。
そんなところで、静かになったり叫んだりしながら感情をぶつけるのは、本人にとっても私にとっても、そして周りにとってもいい迷惑だ。
「私はこの関係がずっと変わらないと思ってたし、変える気もなかった。それで二人とも楽しいんだと思ってた。でも、私がきっと重かったんだ。変化を怖がる私の弱さが、重かったってことだよね」
弱いと自分で言っている側が、その弱さを武器に誰かを叩く。
抽象度の高いパンチは、その実、誰にも届いてないようにも見える。
肩で息をしていた彼女が、少し落ち着いてきた。
私は彼女に同意も否定もしないまま、彼女を立たせ、一緒に駅まで行くことにした。
私がはっきりと同意も否定しないせいか、燃料供給が断たれ意気消沈した彼女は、座って話していた時と別人のように、公園から電車に乗るまで一言も話さなかった。
電車に乗った彼女に、私はホームから軽く手を振る。
力なく笑い、手を振り返した彼女は少し老けて見える。
彼女はその「弱さ」というイジワルな強さを武器に、誰かを傷付けるかもしれない。
私は、電車が見えなくなってから、彼女の連絡先を消した。
別れ話を切り出したのは、私じゃない。彼女の彼氏だ。いや、元彼氏なのか。
ただの同性の知り合いでしかない私に、相手が不在の状況で、露悪的に自他を語られてもただただ困る。本人に言ったらいいのに。
「出会わなければ良かった」
以前、何かの折に彼女がぽろっとこぼしたことがある。おそらく私に向けたものではなかったが、「そうかもしれない」と思ってしまった。
私も嫌な奴だ。
もしかしたら、この世は弱い奴と嫌な奴でできているのかもしれない。
めんどくさいな。
「ただいまー」
玄関に入ると、奥から丸い顔がすっと出て、こちらを見てすぐに引っ込んだ。
「おかえりー」
私が間違っていた。弱い奴と嫌な奴だけじゃない。愛する奴もいる。こんな時間に帰ってきた不良な妻に文句も言わずに、「おかえり」と言ってくれる。
リビングに入ると、ぶどうが用意されていた。
「このぶどう、どうしたの?」
「職場の人からもらったの。種なし巨峰だって」
一粒口に入れると、わずかな酸味を含んだ強烈な甘さが口を埋め尽くした。
「あまい!ありがとう」
そうだ、夫は愛する奴だ。そして、さっきから足にまとわりついている丸い顔のこいつ。ピートと名付けたスコティッシュフォールドの猫。こいつも愛する奴だ。
私の周りが弱い奴と嫌な奴ばかりでも、彼らは愛する奴だ。
私も彼らにとってそうでありたい。弱くても嫌でも、誰かを愛し愛されたい。
私は巨峰をもう一粒口に入れた。
(愛しているよ)
甘くなった口の中で、あえて声に出さなかった言葉がずっと反響していた。
七緒よう