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【日記】栄養ドリンクを過剰に摂取することは自傷行為となり得るのか

かってぇタイトルでごめんな。
内容はそんな堅くないと思う、たぶん。

最近、高校生の子と接する機会があって、その子が大量に栄養ドリンクを飲んでいた。その子は疲労回復や所謂「カフェイン依存自慢」的なものではなく、自身の身体を大切にしない行為の延長として栄養ドリンクを摂取しているように私にはみえた。長くなるのでどうしてそう思ったのかは端折るけれど、少なくともその要素は孕んでいると思う。

栄養ドリンクが「身体によくないもの」ということは既に色んな人が知っている。私もそう思っている。ここでは、その事実が大事である。

要は、身体によくない行為を(場合によっては他者の目に入るように)積極的に行うことそのものが自傷行為にあたると思うのだ。

別にわかりやすく手首を切るだけじゃなくて、ほんの少し自分を大切にしないことも自傷行為になり得るし、それはその人が発しているSOSであることも全然あるのかもね、っていう。

とは言え、栄養ドリンクをたくさん飲むなんて皆やっていることではある(※偏見)し、その行為自体に首を突っ込むのもなという気持ちももちろんある。過剰反応しすぎなかなって。

ちなみに、そもそも栄養ドリンクは身体に悪いのか?という問題。意外と論を持って断言できる人は少ないのではと思う。カフェイン中毒などの言葉もあるが、コーヒーより多いカフェイン含有量の栄養ドリンクはあんまり見たことないし。私も論を持って断言できないひとりだったので、少し調べてみた。

結論、もちろん成分にもよるが「疲労(感)回復」を謳う栄養ドリンクは身体に悪いと断言していい。

そもそも、疲労には2種類あるらしい。
所謂「疲れた〜!」って感覚の『疲労感』と、細胞そのものの死もしくは活動停止である『生理的疲労』。

この2つは区別して考える必要がある。

というのも、『疲労感』は『生理的疲労』の原因であるaIF2αのリン酸化に「ISR(統合的ストレス応答)」が炎症性サイトカインを産生、それが脳に届いた結果の反応である。しかしISRは炎症が強すぎると反応しなかったり(過剰な自己免疫反応を防ぐため)、ストレス反応によって低減されたりするため、案外信用ならんやつと言える。『疲労感』がなくても、『疲労』は生じているということが起こりがち。

栄養ドリンクは、正にその状況を作り出すのにうってつけと言える。『疲労感』は栄養ドリンクにより低減されるが、根本である『生理的疲労』には効果がないからである。つまり、栄養ドリンクを飲めば疲労感は軽くなり身体が楽になった気がするけど、実際には細胞は着々と死んでいるという、上記で述べた負のスパイラルに陥る。

合ってるかわからんのなりにざっくり言うと、栄養ドリンクは身体の発する危険信号を遮断する効果を持つということ。

現代社会を生きる人たちに栄養ドリンクを飲ませるというのは、戦地に赴く兵士たちに恐怖心と痛みを感じさせなくする薬を投与するのと一緒と言っていいと思う。

いやでも、ほんとアンチじゃないんです。現代社会は命の前借りが必要なことって多々あるし、そもそも疲労感を感じさせなくするはたらきっていうのは命を守るための機能(Ex.命の危機のときに疲労感ってあったらより死ぬでしょ)なわけだし。

だからこそ、用法用量正しくねっていうのが結論なわけですけども。

そう思うと、栄養ドリンクの過剰摂取はある意味でODに近しいものがある。OD程に明確でない分、そのSOSに周囲が気付きにくいとも言える。冒頭で述べた高校生の子の話だが、彼女の栄養ドリンクの過剰摂取は(結果的に)彼女なりのSOSだったのだと後になってわかった。

兎にも角にも、ご自愛は本当に大事。皆様、どうぞご自愛ください。

↑ご自愛にかこつけた布教ですこれは。アイシナくん、安田さんと仲良しで可愛いよね。みんなアイシナくんやゆるドキクッキングを観よう。頼む。


参考文献:「疲労とはなにか すべてはウイルスが知っていた 」近藤一博

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