地獄で出会った、丁寧な餓鬼。
温泉地として有名な大分県の別府にはたくさんの地獄がある。
温泉に入ることを除けば、地獄めぐりをすることが別府観光の基本プランになるだろう。
地獄なんて普通は近寄りたくもないものだが、別府の地獄にはお金を払って大勢の人たちが集まってくる。
地獄にはさまざまな種類があり、血の池地獄と呼ばれる真っ赤に染まったおどろおどろしい地獄もあれば、海地獄と呼ばれるコバルトブルーの美しい地獄もある。
海地獄の施設の中には展示室があって、昭和天皇が海地獄にお見えになられた際の写真がある。
きっと昭和天皇は海地獄の美しさを眼前に、
「かの大戦中の日本と比べたらここは天国のようだ」
とおっしゃられたに違いないと余計な思案を巡らせた。
各地獄にはお土産コーナーが必ずあって、入場料の400円から客単価を少しでも上げるために一生懸命である。
私が唯一買ったものはカプセルトイ形式で売られている小さなフィギュアで商品名は【丁寧な暮らしをする餓鬼】だったと思う。
地獄絵巻なんかで見たことのある餓鬼が掃除機をかけたりお弁当を詰めたり、丁寧な暮らしをしている様子を模ったものだった。
私が引き当てたのはおにぎりを握っている餓鬼で、座布団にちょこんと座り、おひつに入ったお米を海苔で巻いて握っている。
最初は変なフィギュアだなぐらいだったのだが、家に帰ってきてデスク上に飾り眺めていると健気で愛らしく思えてきた。
本当であれば飢えに苦しみ米を貪り食おうと必死な形相だろうから、愛らしく思えるわけがない。
ただ、その過程に丁寧な所作が加わるだけで見え方がまるで変ってくる。
例えば、やるべき宿題もせずにポテトチップスをバリバリと食べてゲームを延々としている小学生男子がいるとする。
私が母親ならすぐに叱って無理やりにでも宿題をさせると思うのだが、その小学生男子の所作が丁寧であればどうだろうか。
ゲームをする際は座布団にちょこんと座り、
ゲームの攻略や気付きをノートに一生懸命に書き留め、
ポテトチップスを食べる際もお皿に出し、
一枚一枚を味わうようにお箸で食べ、
手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」を欠かさない。
そうなると、なんだか健気で愛らしくてとても怒る気になれないような気がする。
自分の欲望を制御して生きるか、欲望に忠実に生きていくかは悩ましい問題である。私はそのようなことを考えることが度々ある。
人間には欲があって当たり前じゃないか、欲望に忠実に生きよう。
これだとすごく投げやりな傲慢さを感じるが、そこに丁寧な所作を加えれば印象が変わってくるのではないか。
「あの人、欲の塊で卑しいわね」と近所の奥様に噂されてしまうような場面でも「あの人は欲望に忠実だけど、とてもストイックで感銘を受けるわね」になるかもしれない。
そうは言っても欲望のままに生きるのだから地獄に落ちてしまう確率は欲望を制御して生きるより確実に上がってしまうだろう。
ただ、地獄巡りをしてきた今の私なら地獄に落ちるのも悪くないじゃないかと思えてくる。
なぜなら、そう思わせるぐらい別府の地獄は綺麗で魅力的な天国のような場所だったからだ。