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今日の読書

職場で傷つく
117〜142

2「問題の能力主義化」という追い討ち
能力主義は、公平・公正。
「能力」という目に見えないもの
「職場の傷つき」も、「こういう能力があれば傷つかないのに」なんてのは、能力主義的妄想で、傷ついた個人というのは、この人の「能力」の問題というより、組織の「関係性」に課題がある状態のこと。
職場の傷つきを個人の「能力」の問題にするとどんな「いいこと」があるのか?1 組織の責任回避 2 「問題社員」の排除 3 無限に努力する社員の創出
3「コミュニケーション能力」というとどめ
皆がうまいことやれるよう組織が配慮することは何ら要請されず、個人だけが「うまくやること」を「コミュ力」として、絶えず求められる。
他人事感、疎外感。「コミュ力」の要請を盾に、「職場で傷ついた」と言わせない土俵はとどめをさすがごとく完璧に整うのです。

難しいテーマだなぁ、って読み進めてる。たぶん自分が能力主義で、能力がなければ傷つくけど諦めるしかないって思っているからかと。たしかに目に見えないけど、コミュ力とか主体性があるっていうのは、大事な能力。問題なのは、それが発揮できないような環境や、発揮できない人に対して救いがないことかな。能力主義を押し付けないことが正しい?じゃあみんな、良い評価を貰って全員がハッピーハッピー?難しいね。ただ、お互いが求められていることと求めていることに対して、しっかり対話していかないといけないと感じる。

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