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事象の境界線の向こうへ

これは、追悼文なんかじゃない。
言うなれば、出しそびれてしまった手紙のようなもの。
もう受け取ってもらうことはできないけれど、その代わり、何度だって読み返せるし、書き足すことができる。
ふと蘇る思い出が眩しすぎて胸が痛むこともあるけれど、かと言って、あんなに楽しかった日々を、最高にかっこいいアーティストを、思い出さないように日常を送ろうとするのも寂しいから。
自分のペースで、自分のために、書き残しておきたいと思う。

LIPHLICHからの大切なお知らせで、ボーカルの久我新悟の訃報を受けた時、呆然としながらも浮かんできたのは、活動休止前のツアーで『オディセイ』を歌う姿だった。
始めてLIPHLICHの音楽に触れ、アーティスト久我新悟に出会った時、私はまだ高校生だった。
その時の私には、久我さんは魔性の者というか、幻術師というか。
煙のように優雅に漂い、実体がなく、哲学的な問いや耽美な情景を造作もなく手のひらから生み出し、その瘴気に当てられた者を拐かすような、もはや人ではない何かに見えていた。
でも、私も歳を重ねて大人になっていき、LIPHLICHもまたバンドとして様々な岐路を経て円熟していく中で、彼もまた一人の人間であり、バンドマンとして生き残り、のし上がっていこうと戦っていること、血を吐く思いで私たちを魅了する幻を生み出していることを、知っていった。
彼の生み出していった楽曲、作り上げていったステージ、表現者としてのパフォーマンス、全ては久我さんが命を燃やして見せていた煌めきなのだと。
霞を食べて生きる仙人でも、タネと仕掛けで惑わすペテン師でもなく、地に足の着いた一人の人間が生み出していることを理解した時にこそ、
刹那の中で永遠を歌い上げる、アーティストとしての凄みと覚悟、道化師の皮を被った創造主であり続ける逞しさと脆さを、心の底から尊いと感じた。
本当にLIPHLICHが好きだ、本当にアーティスト久我新悟が好きだと思った。

活動休止を控えているという寂しさを吹き飛ばしてくれるくらい、ただただ楽しかったツアーの中で、『オディセイ』を聴いていた時間は、
私が13年間見続けてきたLIPHLICHの、久我新悟の、本当に好きなところが結晶化したような時間だった。
これまで戦い抜いてきた戦士がやっとついた細いため息のような、これからの未来へ向けたあたたかな福音のような、儚くて優しくて、泣きたくなるほど美しかった。

『オディセイ』LIPHLICH(詞・曲 久我新悟) 

「影を追う?」と 問いかけたのは未来よりも先
なぜ見ていると 溢れ出す哀は宇宙より先
確かめた世界 外れでもう迷わない
不確かな地殻 マントルすら突き抜けるだろう

短い短い命を 美学で研ぎ澄ましていた
永い者が僕 生き延びて噛み付くことを終える
楽しいよ

「愛してる」と 話せるようになってしまったから
追いかけるよ たゆたうことは疲れてきたから
黒いベッドで空飛んで 真上から地を見て
刻んでいたのは夢の地上絵
欠けた月へ行くため 捨てなくちゃいけない
かすかに残った あの日の切れ端

新しい痛み やがて血となり廻らう
永い道が僕 駆け巡り悪いときを終える
楽しいよ

「影を追う?」と 問いかけたのは未来よりも先
なぜ見ていると 溢れ出す哀は宇宙より先
視界にある感情が 僕らをもてなして
まるで世界が違ってしまった
欠けた月へ行くため 捨てなくちゃいけない
大地で朽ちた 蒸気の残骸

「愛してる」と 話せるようになってしまったから
追いかけるよ たゆたうことは疲れてきたから
黒いベッドで空飛んで 真上から地を見て
刻んでいたのは夢の地上絵
欠けた月へ行くため 捨てなくちゃいけない
かすかに残った あの日の切れ端

初めて聴いた時は、何とまあ壮大で、ロマンチックで、孤独な曲なんだと思った。

LIPHLICHの表題曲らしい、空間を押し広げるような、突き上げるような曲調や、ぐるぐると様々な世界に連れ回されるような転調もない。
言うなれば、足元をすくわれるような感覚。地面から浮かんで、ちらちらと光る星を横目に、あまりにも広大で真っ暗な宇宙を静かに揺蕩うような曲調。
痛いほど感傷的な歌詞と相反するような、淡々とした歌い方。
素敵だと思うけれど、どこか掴みどころのない曲だと思っていた。
きっとこれは、「事象の地平面」を歌った曲だったんだろうと、私が思い至ったのは、残念ながら彼の訃報の後だった。

相対性理論も量子力学も専門的な知識は何一つない。
この曲が発表された時のことも正直よく知らない。
だから、誤った解釈かもしれない。
映画好きの久我さんのことだから、あの映画から着想を得ていますと、どこかで話していたかもしれない。
だけど、ツアーの各箇所で、「こんな夜だから、今夜こそ」「この愛を抱いて待っていて」と言葉を添えて、何か大切なものを預けるように歌っていた久我さんが強く印象に残っているから、
私も、私の解釈で、この曲を大切に抱えて生きていこうと思う。

「事象の地平面」とは、人間が知覚できる世界の果てのこと。
私たちがそこに何かが存在すると認識できるのは、光の速さで到達できる範囲までだから、その先にあるものは知ることができない。
ブラックホールの強い引力は、光速を超える。
だから、離れた場所に居る私たちには、引き寄せられた星たちの進む速度が相対的にゆっくりに感じられ、私たちが認識できる世界の果てである事象の地平面(認識できない光速を超えたブラックホールの手前)で永久に留まって見える。
裏を返せば、その永久に留まって見える星があるから、本来私たちには感知できないはずのブラックホールの存在やその先を推し量ることができるいうこと。
事象の地平面に在る者が居るからこそ、その向こう側の存在を証明できるということだ。

私は天国だとか地獄だとか、そういう死後の世界みたいなものをまるで信じちゃいない。
だけど、現実にある理論で、生きている人の目で語られる世界は、きっとある。
だから、実体に触れることはできない、目で見ることはできない、=存在しないというわけではないんじゃないだろうか。
光の速度で進んでもまだ足らない、未来よりも宇宙よりも先の場所があって、久我さんはきっと一足先にそこに辿り着いたんだ。
どこまでも壮大で、ロマンチックで、祈るように、縋るように、信じたいご都合主義。
少なくとも、何度となく、様々な形で、永遠を歌っていた久我さんが見出した、一つの永遠の形であることに間違いはないのではないだろうか。
勿論、この曲が作られた時や、ライブで披露していた時に、死が見えていたというわけではない。
強いて言えば、直近で決まっていた活動休止や、そこから先なにが待っているか分からない不確かな世界だけど、「でも大丈夫だよ、見えないかもしれないけど、ここに居るからね」、と言ってくれていたのではないだろうか。
この世界で彼の音楽に触れる時、彼の才能を愛でる時、彼のことを語る時、その向こう側に久我新悟は存在し続ける。
彼の才能に強く引き寄せられ、彼を愛し、彼の音楽を愛している星々が、彼の存在を証明する。
いつか命を使い果たして、境界線の向こう側にいる彼に追いつくその日まで、そんな人たちが一人でも多く、ただ生きていてくれたら。一秒でも長く存在してくれたら。
これは、ただの綺麗事や夢物語ではなく、まさしく今証明されようとしている理論。
久我さんが描いた永遠という仮説を、これからの日々で証明していくのだ。 

もっと見たい景色があった。もっと実現してほしい夢があった。まだ聴きたい曲がたくさんあった。
宙ぶらりんになった約束に、胸が締め付けられる。
遺された人の、久我さんを愛している人の悲しみは計り知れない。
どうして、何で、もしあの時こうだったら、何もできない外野の身の私でも、思わずにはいられない。
言葉にしてしまうと陳腐だけれど、あまりに惜しい人を亡くした。

唯一無二の才能を持ち、孤高を着こなしながらも、茶目っ気のある可愛らしい人だった。
傲慢さと繊細さが同居する言動に振り回されたこともあったけれど、何だかそれもまた楽しかった。
どこまでも憎めない、愛され男。
だから、経緯は分からないし、これからも分からなくていいが、うっかり事象の境界線を踏み越えていってしまったあなたを、責める気持ちは一つも起きない。
きっとあなたは、かっこよ過ぎて、そちら側へ早めに呼ばれてしまったんだろう。
今まで、バンドとして致命傷になってもおかしくないようなたくさんのことを、「大丈夫だよ、いつでも見たい時においで」と、しなやかに乗り越えてくれた。
何度でも新鮮なトキメキと感動を与えてくれた。
私たちの夢と愛情を一身に背負ってくれ、飛び続けてくれた。
どんな時でも、LIPHLICHの久我新悟という、極上のエンターテイナーを全うし続けてくれた。
もう十分すぎるほど、一生分の夢を見せてもらった。
あなたは、最高にかっこいいアーティストであり、フロントマンだ。
私は知識が豊富なわけでもなければ、一つ一つの歌詞を熟読したり久我さんの語る言葉をきちんと記録・考察したりする、真面目なファンではなかったから、これからまたゆっくり、難解で、幻想的で、多面的で、奇想天外なあなたの世界を堪能していこう。

まだ頭の理解と感情がうまく追い付いていないせいか、しゃっくりみたいに突然泣き出しては、思い出される久我さんがいちいちくそかっこ良くて笑けてくる、みたいなことをずっと繰り返してる。
本当は、かっこいいところばかりじゃなくて、変な顔で写っちゃったインストの写真とか、脈でも測ろうとしてんのかみたいな変な握手とか、たまに出る頓痴気な発言とか思い出してニヤついたりしたいんだけど、それはもう少し先になりそう。
これから時間をかけて向き合って、LIPHLICHの久我新悟が大好きであることを噛み締めて、私は生きていこうと思うよ。
久我さんが提示してくれた、その境界面であなたを想い続けているよ。 
そこには、私だけじゃなくて、きっとあなたが見ていたたくさんの星が、あなたに引き寄せられたたくさんの星が輝いて、永い時間をかけてゆったりと降り注ぐはずだから。

だから、「この愛を抱いて待っていて」

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