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第弐回 カグラバチ 漣家の命名法則についての考察

ごきげんよう、まだらもがくです。
まず最初に、このnoteは断定ではなく「こうだったらいいな」という解釈🍡であることを明記しておきます。
これは正解ではなく可能性であるということです。
その上でこの度、前回の命名考察noteを読んだフォロワーさんから様々な指摘と知見をいただきました。
その上で「もう1個noteにできるくらいあるんじゃね…?」と思いこのnoteを作成している次第です。
未読の方は是非カグラバチと前回のnoteを読んでからこちらを読んでいただければなと思います。勿論このnoteから先に読んでも問題ないです。
それでは始めていきましょう!
漣家の命名法則についての考察―――

続行だ!!


まずは、全体的な総評から参りましょう。
漣家全体のお話、具体的には宗也、伯理、天理の三兄弟のお話から。
彼らは「蔵」の継承権を持つ嫡流ちゃくりゅうとして生まれています。
それはつまり誰が当主になっても不思議ではない状態で名付けられ、育てられたということを意味します。
そしてその本家の血筋を象徴するのが宗家のであり、一家の長を表すであり、人の上に立つです。いや、でしたと表現する方が適切かもしれません。それは幸か不幸か……
これに関しては京羅と宗羅も同じですね。
は都、転じて首都で中心地。その国を管理する場所とも言えますね。
対して宗羅はちょっと捻りが効いています。
後の項でも触れますが宗羅はsolarソーラー、つまり太陽を指す可能性があります。
聞き馴染みのない方はソーラーパネルを思い浮かべていただければ理解が深まるかと思います。つまり、天理と同じく「空の上から見渡す者」の形を取った命名であると言えそうですね。

ここから先は宗羅のように個人の名前と海外由来の言葉を絡めた考察になります。
まずは伯理から。
伯理が登場した瞬間に「伯理」という言葉をそのまま検索しました。そして出て来たものがこちら。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

皆さんご存知、黒船来航でお馴染みペリーに対する当て字として用いられたもの、伯理ペルリでした。
そして勘のいい読者の方はもうお気付きのことでしょう。
伯理が手引きし、閉じた漣家を拓いた黒船とは、まさしく涅、カグラバチ第3巻19話にて邂逅を果たした闇の騎士たる六平千鉱ろくひらチヒロその人だったのです。



カグラバチ3巻書影より



お次は宗也です。
これは日本語に重きを置いた俺からは出ない発想でした。
順を追って説明します。
まずは前回追記分からの引用です。

「宗也は天理との実力差に悩まされ、伯理に対してだけハイテンションになる"限定的"躁状態になった」
つまり躁也である可能性についてです。
決して躁である方を揶揄する表現ではありませんし、筆者は鬱病で、躁なのでは?と言われている有名人もたくさんいらっしゃいます。ご安心を。

失礼、横道に逸れました。
ここから先が新しい知見の話です。
「宗也とはソーヤなのではないか?」とのご指摘を頂いております。
「ソーヤって何のこっちゃねん」と思われることでしょう。
ソーヤとはsaw、つまりノコギリに「〇〇する者」を付与するerがついた形、もっと正確に表現するならばsawerソーヤです。
そしてこのsawerソーヤとは「木を切る者」という意味で、木を切るとは開拓、つまり新しいことを始める最初の作業です。
これは宗也が「楽座市に殉ずる」という漣家とは違い、「弱いものを愛する」という元来の漣家とは別の道を切り拓いた者である、と象徴するようなネーミングにも見えてきました。
それを最悪の形で出力したのが伯理君に対するペンチやピーラーだったのではないか、と睨んでいます。

盆栽の壁を鳴 千めい ちぎりと共に超えてきたチヒロ君に斬られる宗也はさながら意趣返しのようなネーミングでもあったのかもしれません。

カグラバチ32話より


そして京羅です。
京羅は息子達に「漣家はその人間の"熱"と"価値"を司る」と教えを説きます。

カグラバチ33話より

これはつまり楽座市の会場で巻き起こった熱狂であり、転じて 狂乱”きょうら"んであるとすることができます。
人々を熱狂させ、半ば半狂乱状態に陥ってまで楽座市完遂に尽力した京羅にふさわしくこれまたまさしくなネーミングと言えるでしょう。
こんな風にね。

カグラバチ43話より


最後に漣という名字について。
これは「サザビーズという世界最古のオークション会社が元ネタになっているのでは?」と思っています。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このサザビーズを名字の形になるよう漣と起こし、そして当主を守る親衛隊を海中うねる大波であるとうと表現する外薗先生の構成力には脱帽ですし、そこまで辿り着けない自分の浅学を恥じるばかりでございます。


如何だったでしょうか?
貴方の中にある知識と理解が深まる一助になったでしょうか?
また新たな解釈🍡が生まれるきっかけになれば一考察者、もとい一読者冥利に尽きる限りでございます。
これからも共にカグラバチの躍進を見届けられれば幸いです。

それではこれにて第弐回漣家の命名法則についての考察―――


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