"楽しい"を追求する天童覚という男
天童覚という男について話します。
えぇ、ハイキューの。そう天童覚です。ゲスブロックの。
当然完結までのネタバレを含みます。まだ読んでない?今すぐ読みましょう。こんなnoteを読んでいる場合ではないです。
さあネタバレへの配慮も済ませたところで本題です。
天童覚という人間を語るため時系列に沿って彼の思考と行動を紐解きましょう。
小学生の頃の天童覚は"みんなが楽しい"バレーボールを求めます。
でもそれは実現しませんでした。なぜかって?同級生にこう言われるからです。
「妖怪は人間チームには入れないんだぞ」
あぁ、なんて惨いことを…
しかし天童少年はここで同級生のスパイクをシャット。その時の顔が忘れられない天童少年はゲスブロッカーへと成長します。
中学生になった天童覚は"自分が楽しい"バレーボールを求めます。
自由奔放に、自分の読みを頼りに、相手の攻撃をバシバシ止めていきます。
しかし監督はいい顔をしません。
「個人技には限界があるんだ」
天童少年は言い返します。
「今が気持ち良くなきゃ意味無いですもん」
チームメイトたちはありがたがりも気味悪がりもします。
「天童がいると練習止まるんだよな~休めて助かるけど」
「ていうか何か怖いよな天童 何考えてるかわかんない感じがさ」
それでも天童は"自分が楽しい"バレーボールを求めます。
高校入学前の天童覚は鷲匠鍛治監督にスカウトされます。
ここでも天童覚は"自分が楽しい"バレーボールを求めます。
「俺は"俺が"気持ちの良いバレーがやりたいんです」
まるで(俺の楽しいとみんなの楽しいは両立しないから それなら俺は俺の楽しいを選ぶよ)とそんな胸の内が聞こえてくるようです。
しかし鍛治君はこう返します。
「点が獲れるなら何の文句もねぇよ」
この時の覚の顔、なんとも印象的ですね。
白鳥沢学園に入学した天童覚は変わらず"自分が楽しい"バレーボールを求めたでしょう。1,2年時の描写がないためあくまで推測ですが。
しかしそんな天童覚の"自分が楽しい"バレーボールを監督である鷲匠鍛治は肯定しています。「点が取れるならそれで構わない」と。
そしてチームメイトもまた天童覚のプレイを肯定しています。
その表れとして最も象徴的なのはやはり牛島若利が発した「根拠のない自信は嫌いだ」という言葉でしょう。
「いやいやいや、それは日向翔陽に向けた台詞でしょ?」と思ったそこの貴方。その通り。この言葉は牛島若利が日向翔陽への"なんか嫌"感を言葉にしたものです。
しかしそれは転じて「信頼できるチームメイトのプレイには根拠がある」ということでもあります。
今まで「個人技」だと「読みと嗅覚」だと「理屈の通じない相手」だと言われてきた天童覚のゲスブロックというスタイルを、チームメイトとしてプレイしてきた牛島若利は根拠のある自信だと捉えているのです。
随分話が変わってきました。"自分が楽しい"バレーボールを求めてきた天童覚は、いつの間にか監督にもチームメイトにも肯定されていた。気付けば"みんなが楽しい"バレーボールになったのではないでしょうか。
さて、そんな天童覚は今後どこへ向かうのか?原作を全て読んでいる貴方なら分かるはず、そうショコラティエです。
これは天童覚の成長を振り返れば納得の職業と言えるでしょう。
小学生時代に"みんなが楽しい"バレーボールを求め、そして同級生に拒絶されてしまった覚少年。
中学生になって"自分が楽しい"バレーボールを求め、それを体現した天童覚。
高校生になってチームに恵まれ"みんなが楽しい"バレーボールに至った天童覚は”みんなに楽しいを届ける”職業を選択したのです。
みんなに楽しいを与えてもらったから、今度は自分が与える側になろうと。
実は高校生時のプロフィールに「好物:チョコのアイス」と伏線が張ってあったりします。憎いですね。
ここからは天童覚の成長譚からはみ出したオタク語りの余談ですので読み飛ばして頂いて一向に構いません。
実は"楽しい"を追求した天童覚の考えは、奇しくも全国でもトップクラスの鴎台高校監督 アーロン・マーフィの教えと一致しています。
それすなわちメンタルコントロールです。
天童覚はバレーボールという競技においてメンタルの重要性を知ってか知らずか理解しています。"自分の楽しい"を追求するように、チームメイトの"楽しい"を助け、対戦相手の"楽しい"を挫こうとします。
「バッキバッキに折~れ♪ なにを~?心をだよ~♪」
「お "普通"の方~」
対戦相手の"楽しい"を挫く描写は分かりやすいですね。
チームメイトの"楽しい"を手助けする描写は月島蛍が牛島若利をシャットした時にあります。
全国に名を轟かせる大エース牛島若利が、無名の一年月島蛍にシャットされる。その失点の原因は自分のほんのわずかないらだちと焦りを含んだ綻びであると、白布賢二郎は自覚しています。しかしそのミスを天童は責めません。責めるどころか
「そォか?ミスって程悪いトスでもなかった」
「今のはあのメガネ小僧がウマかったよ」
とフォローします。このミスで白布がメンタルを崩し結果セットアップが乱れることを防ぐためのメンタルケアですね。天童覚がメンタルの重要性を理解している何よりの証拠と言える描写でしょう。
次はちょこっと漫画を飛び出してアニメ3期のOPのお話。
BURNOUT SYNDROMESの「ヒカリアレ」です。
この曲ではハイキューらしさ満点の歌詞がてんこ盛りですが、今回は『楽園を目指す戦士達に光あれ』という歌詞に注目します。
この『楽園』という言葉、作中では烏野に敗北した時に天童が発した「さらば俺の楽園」以外に出て来ません。
故に、天童から『楽園を目指す戦士』である牛島若利へのエールの言葉であると解釈しています。オタクなので。
最後に天童覚の職業について。
天童覚という人間が一体どういった変遷を経てショコラティエに辿り着いたかを語っておきながら、連載当時天童の将来について考察し無残にも外しています。
というのも天童覚は実況や解説に関わる仕事をしているのではないかと予想していたのです。
日向たちの世代から牛島若利までの3年間の世代を「妖怪世代」と呼称するのはご存知かと思いますが、彼らのことを「妖怪っぽい」と言い始めたのは紛れもなく天童覚その人であり、さらに烏野vs音駒を観戦していた天童は「解説に厳しい」と五色に言われています。じゃあ誰よりも彼らへの理解を言葉にする職に就いていると考えるのは自然ですよねェ!?まあ違ったんですけど。
さて、Twitterでは文字数が足りぬとnoteを開いた天童語りもこの辺りでお終いです。初めてnoteというものを使っているので機能を一切理解しておらずもっと読やすい文章にできるのではないかなとも思うのですが、思考を書き殴っただけというのもオタクらしくて悪くないのかなとも思います。
ここまでお付き合いくださりありがとうございます。どうやら2902文字らしいです。怖い。
興と筆が乗ってこのnoteを書いた日がバレンタインだなんてなんだか素敵ですね。
天童覚、俺の気持ちをしたためた本命チョコ 受け取ってくれるか?