2001.9.11アメリカ同時多発テロ事件の体験で繋がった鎮魂の絆〜9.11の会〜
どうもどうも、吉良です。
今日は2024年9月11日。
23年前の9月11日、ニューヨーク時間の8時46分(日本時間21時46分)にアメリカ同時多発テロの1つ目のテロ攻撃がニューヨーク・マンハッタンのワールドトレードセンター突入から勃発しました。
僕ら日本の出版・広告メディアチームは1995年のビルゲイツ氏が発表したWindows95以降、急速に世界に広がり、日本でも遅ればせながら2000年以降に動き出した「IT革命」の研究、研修のため、まさにその時ニューヨーク・マンハッタンを訪れていました。
10時からの研修に合わせてホテルのロビーに集合したのが8時45分。そのまさに1分後に『アメリカ同時多発テロ事件』が勃発、僕たちは時代の検証者に突然なったわけです。
その時に学んだ「メディア論」は2022年9月のnoteにしっかり書き記してあるのでこの機会に是非、生き証人の記事としてお読みください。
あまりに悲惨な「テロ事件」を目の当たりにして、マンハッタンにしばらく閉じ込められ、恐怖感と孤独感と戦った僕たち出版・広告メディアチームは帰国後、非公式ながら「9.11の会」を作り、毎年9月11日の夜に会い、日本人24人を含む2477人の追悼を兼ねた集いをするようになりました。
本日9月11日はまさにあの日から23年目の会になります。
23年間の月日の流れはその時はまったく想像すらできなかったのですが、実際はとても大きく、僕自身も振り返ってみると、2004年に電通を卒業、同年ターゲットメディア・ソリューションを設立して起業、その後2011年にマンガデザイナーズ・ラボを設立、丁度今年が起業20年目の節目になります。
この「9.11の会」も大きく様変わりをしました。当時、出版・広告の役職者だった人たちもほとんどが一線から退き、新たな道をスタートしています。
残念ながら旅立った仲間もいます。同時多発テロ事件への追悼曲とも言われている「千の風になって」の歌詞のように、どこかで見守っていてくれているような気がします。
そしてこの会も今回初めてランチ会になりました。食事中にニューヨーク時間の8時46分(日本時間21時46分)を迎えられないのは残念ですが、これも月日の流れですね。
せめて、このnoteを21時46分にリリースしたく頑張って書きました。
すでにあのアメリカ同時多発テロから23年。僕が大学で教えている学生たちはほとんど誰も生まれていません。ということは、きっとこの9.11アメリカ同時多発テロを知らない人がほとんどになります。
今後風化していかないように「アメリカ同時多発テロ」についてWikipediaを参考に簡単に記しておきます。そして、今期最初の講義で学生たちに説明するつもりです。
2001年9月11日8時46分のニューヨークのワールドトレードセンターノースタワーへのテロから始まったアメリカ同時多発テロ事件は、イスラム過激派アルカイダによって行われたアメリカに対する4つのテロ攻撃(後述)を指しています。
このテロ攻撃によって、日本人24人を含む2,977人が死亡、25,000人以上が負傷しました。アメリカの歴史上、最も多くの消防士と警察職員が死亡した事件でもあり、殉職者はそれぞれ343人と72人でした。
僕が宿泊したホテルの隣が消防署で、たくさんの隊員が救助に向かい2次被害に遭遇しました。消防署の前にこのテロで殉職した消防士達の遺影が飾られていてこの事件の悲惨さを実感しました。
その後すぐにアフガニスタン紛争 (2001年-2021年)が勃発し、世界規模での対テロ戦争いわゆる「テロとの戦い」の契機にもなりました。
4つのテロ攻撃とは2001年9月11日の朝、アメリカ北東部の空港から西海岸に向けて出発した旅客機計4機のアルカイダ19名によるハイジャックを指しています。
①②ワールドトレードセンターへのテロ攻撃
これが僕らが目の当たりにしたマンハッタン島のワールドトレードセンターへの攻撃です。
午前8時46分(日本時間21時46分)にアメリカン航空11便がノースタワー(北棟)に、午前9時3分(日本時間22時3分)にユナイテッド航空175便がサウスタワー(南棟)に激突しました。
北棟は1時間42分後に、南棟はハイジャック機の突入から56分後に倒壊し、その衝撃と火災で ワールドトレードセンタータワー(47階建て)を含むワールドトレードセンター内のすべての建物への一部または全体への破壊を引き起こしただけでなく、周囲10ヵ所の大型構造物に甚大な損傷を与えました。
③ペンタゴンへのテロ攻撃
3機目のアメリカン航空77便は、午前9時37分(日本時間23時37分)にバージニア州のペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)に激突し、建物の西側を部分的に倒壊させました。
④テロ攻撃の失敗
4機目のユナイテッド航空93便はコロンビア特別区に向けて飛行していましたが、乗員乗客がハイジャック犯の制圧を試みた結果、ペンシルバニア州に墜落。乗員、乗客は亡くなりました。
このテロ攻撃は、ニューヨークの経済に深刻な打撃を与え、世界市場にも大きな影響を与えました。米国とカナダの民間空域は9月13日まで閉鎖され、これにより僕らも移動を制限され、しばらくマンハッタンに止まることになりました。
この辺りの内容も前述のnoteに記しています。
また、ウォール街は9月17日まで閉鎖されました。
新たな攻撃への恐怖と警戒心から、多くの閉鎖、避難、キャンセルが続き、マンハッタンの賑わいはなくなり、唯一ブロードウェイだけがテロの2日後にオープンし、マンハッタンに取り残された僕らのよりどころになりました。
その後の捜査の結果、アルカイダの指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンに疑いを向けたアメリカは、テロから約1ヵ月後の2001年10月、有志連合諸国とともに軍事作戦を開始しました。
アフガニスタンを攻略し、同国からのアルカイダの放逐と、テロの首謀者とみられるビン・ラーディンの身柄引き渡しに応じなかったタリバン政権を同年11月に事実上崩壊させました。
ビン・ラーディンは当初、事件への自身の関与を否定していましたが、2004年に関与を認めました。
そのビン・ラーディンはテロから約10年後の2011年5月、アメリカ軍の急襲により殺害されました。
テロ攻撃を受けたペンタゴンは1年以内に修復され、ワールドトレードセンターの建設は2006年11月に始まりニューヨーク市の911メモリアル&ミュージアム、バージニア州アーリントン郡のペンタゴンメモリアル、ペンシルバニア州の墜落現場にある93便ナショナルメモリアルなど、多数の慰霊碑が建立されました。
今、世界に目を向けるとロシアのウクライナ侵攻、イスラエルガザ戦争など争いは止まることなく続いています。来年は終戦から80年になります。
日本が続ける平和が世界中に広がること、テロのない社会を築いていくことをテロを目の当たりにした当事者として微力ながら、ずっと大切にしていきたいと考えています。