沖縄本土復帰50年企画「未来へ」❺スポーツをマンガデザインでプロデュース
どうもどうも、吉良です。
5月12日放送のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」に具志堅用高氏がボクシングジムの会長役で登場しましたね。「カンムリワシ」と言われた具志堅用高氏は、沖縄本土復帰後の1976年にWBA世界ライトフライ級のチャンピオンになり、沖縄県出身者で初めての世界王者になり、現在も沖縄を代表する人物として活躍されています。
明後日、2022年5月15日に日本は沖縄県の本土復帰50周年を迎えます。
そこで5月9日から15日までの1週間、僕の沖縄への想いや沖縄の50年間をテーマごとに振り返っています。初回は、僕の沖縄県への想いや、沖縄県の本土復帰からの50年間を制作した背景についてお話ししました。
テーマごとに沖縄県の50年間を紹介しています。
これまで取り上げたテーマ(「自然・環境」、「くらし・経済」,「文化・芸能」)は下記をご確認ください。
今回は「スポーツ」をテーマにお話ししていきます。
僕は野球、ラグビー、バスケットボール、ゴルフ、陸上など、あらゆる分野のスポーツが好きですが、自分でプレイし指導者にもなり、たくさんの人脈の上流になった競技は「サッカー」です。
昨年末、沖縄北部の瀬底島でFC琉球の本年度主将・岡崎亮平選手の家族とゆっくり食事をしました。やんばるを感じながら「沖縄の話」を聞かせてもらいました。岡崎選手は次男の湘南ベルマーレジュニアユース時代からのチームメイトで、大学サッカーも同じチームでした。劇的な沖縄での出会いでした。
僕にとっての「サッカーの神様」はペレではなく国内で同世代最高のプレーヤーだった加藤久(ひさし)氏(愛称:きゅうさん)です。大学で日本代表に選ばれ、代表キャプテンにもなった久さんとの初仕事は、94年のFIFAワールドカップアメリカ大会でした。現役Jリーガー時代から今日まで公私ともに勉強させていただいています。
久さんの「沖縄への想い」は本当に深く、お付き合いの時期が僕が沖縄に初めて行った頃とも重なり、たくさんのサッカーの話と同じくらいの「沖縄の話」を聞かせてもらいました。久さんの沖縄愛が今日のヴィクサーレ沖縄FCでの活動に繋がってるんだなぁ、と素敵な沖縄への経済活動に敬意を払っています。
沖縄県は温暖な気候に恵まれ、豊かな自然に囲まれたスポーツにふさわしい環境にあります。その温暖な気候を生かし、冬場には多くの野球やサッカーのキャンプ地となり、日本のスポーツの発展を支えています。僕の大好きな阪神タイガースの一軍キャンプ地も宜野座です。
また、サッカーJリーグの「琉球FC」、バスケットボールBリーグの「琉球ゴールデンキングス」、日本ハンドボールリーグの「琉球コラソン」、卓球Tリーグの「琉球アスティーダ」など様々なスポーツのチームがあり、屋内・屋外問わずスポーツ施設が発達しています。
東京2020オリンピックで実施競技に追加された「空手」は沖縄県発祥のスポーツです。沖縄県出身の喜友名諒選手が男子・形で金メダルを獲得したことも大きな話題となりました。
今回の沖縄本土復帰50年企画「スポーツ篇」では琉球新報社の協力により下記のような復帰50年の成長の歴史をマンガデザインでわかりやすく描きました。是非、お楽しみください。