北京2022オリンピックで感じた新たなチームワークのあり方【吉良式発想法&視点】
どうもどうも、吉良です。
2022年2月4日に開幕した第24回北京2022冬季オリンピックから1カ月。3月4日からは第13回北京2022冬季パラリンピックが開幕します。その間、常に「戦争の無意味さ、平和の大切さ」を伝えている僕にとって耐えがたい事態が発生しました。ロシアによるウクライナ侵攻、戦争です。
サッカーをこよなく愛する僕にとって、ウクライナといえばシェフチェンコ選手です。2006年のFIFAワールドカップで初出場のウクライナ代表チームをベスト8に導いた姿も素晴らしかったですが、ACミランのシェフチェンコ選手の勇姿はより印象的です。当時、僕がACミランのファンになったきっかけでもありました。
そのシェフチェンコ選手の母国で侵略戦争が起こるとは、全くもって考えられません。ウクライナに平和が訪れることを願うばかりです。
北京2022冬季オリンピックの話に戻ります。
今からちょうど50年前の1972年、アジア地域で初めて開催された第11回札幌冬季オリンピック。この年の5月15日には沖縄返還がなされ、メディアにおいては、カラーテレビの登録台数が初めて白黒テレビを超え、カラーグラビア雑誌の成長と共に日本のカラー化が促進された年でもあります。
オリンピック放送もカラー化され、「日の丸飛行隊」と呼ばれたジャンプチームの笠谷選手、金野選手、青池選手が「70メートル級(今日のノーマルヒル)」で表彰台を独占しました。札幌冬季オリンピックの日本のメダル総数3個はこれですべてでした。
1964年の東京オリンピックでスポーツに目覚めた僕は必死にテレビに向かって応援していたことをしっかり覚えています。
当時はスキーを今日のようにハの字に広げず、綺麗に揃えてジャンプする時代で、笠谷選手は「世界一美しいフォーム」と称されていました。
その後、1998年の第18回長野冬季オリンピックでは、仕事として2日間視察する機会に恵まれ、スピードスケート500メートルの清水宏保選手の金メダル、スキージャンプノーマルヒル個人の船木和喜選手の銀メダル獲得をライブで見ることができました。やっぱり僕は強運だなぁと思います。
このおふたりは今回の北京冬季オリンピックの解説者としても活躍していましたね。
今回はその「北京2022冬季オリンピック」で感じたことを書いていきます。
この吉良式noteは、2021年7月23日の第32回東京2020オリンピックの開会式当日、「僕とオリンピック」というタイトルの記事からスタートしました。あれから7ヶ月、我ながらよく続けているなとちょっとだけ感心しています。そんなスポーツ好きにとって、北京冬季オリンピックは外せないトピックスです。
北京2022冬季オリンピックで日本チームは冬季オリンピック過去最高の18個(金メダル3個、銀メダル6個、銅メダル9個)を獲得しました。
スピードスケートの高木美帆選手、ジャンプの小林陵侑選手、スノーボードの平野歩夢選手の金メダル、男子フィギュアでの鍵山選手、宇野選手の銀メダル、銅メダル、女子フィギュア坂本選手の銅メダル、カーリング女子の銀メダル、ノルディック複合ラージヒル団体の銅メダルをはじめ、すべての種目でたくさんの感動を私たちに与えてくれました。
その中でいくつかの問題点も生まれました。
毎度のことですがジャッジ問題やホームタウンディシジョン、ホームエリアディシジョンです。この問題解決のためにはサッカー、ラグビー、アイスホッケーのような「VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)」の活用、それでもわからないケースは体操競技のようにテクノロジー(3Dセンシング/AI採点システム)の力を最大限利用して審判の心の介入を最大限防ぐことが大切だと思います。
さらにドーピング問題。
アンチドーピングは言わずもがな、勝利至上主義よりも身体の大切さをしっかりと考えるべきです。
そして、高梨沙羅選手を含めた複数選手に起こった不透明なスーツ規定違反失格問題。
規定は長い年月をこの日のために努力してきた選手を失格させるためにあってはならず、試合後ではなくサッカーや野球などのように試合前にチェックして違反箇所を改善させて試合に参加させるためのものでなければならないと感じます。
ましてや普段「個人競技」としておこなっているものを「団体競技」にしている競技における個人の失格の精神面におけるダメージは計り知れません。チェックタイミングの規定を加える必要性を感じました。
ちょうどこのnoteを書いているときに、責任感の強さから大きなショック、精神的ダメージを受けていた高梨沙羅選手が3月3日未明に実施されたワールドカップ第14戦リレハンメル大会で見事優勝というとても嬉しいニュースが飛び込んできました。見事に乗り越えてくれましたね。本当に良かったし、素晴らしいです。
「個人競技」と「団体競技」という話をしましたが、冬季オリンピックと夏季オリンピックを比較すると、競技種目数が全く違うのはもちろんのこと、冬季オリンピックは個人競技が圧倒的に多く、団体競技が非常に少ないことに気がつきます。
普段から「団体競技」としておこなわれている例をあげてみましょう。
この状況や男女平等の視点を受けて、普段「個人競技」としておこなっている競技を「団体競技」にした種目も生まれるようになりました。年々増加しており、世界選手権などの国際大会を経てオリンピックに採用される流れもでてきています。
今回の北京2022オリンピックで銅メダル(記事公開時での暫定)をとった「フィギュアスケート団体」は2014年ソチ大会から採用され、複数選手のスーツ規定違反問題が起こった「スキージャンプ混合団体」は北京大会の新種目でした。
「個人競技」を「団体競技」にしたとき、今回のフィギュアスケートのようにうまくいけば何の問題もないですが、スキージャンプ混合団体のような事態があった場合の個人の責任の緩和について、事前からチーム全体で考えなくてはいけないことだと感じさせてくれました。
普段から失敗やミスも含め結果を自分ひとりだけで受けていた選手が、急に団体として仲間とそれらを共有することになったとき、自分自身も関係者もどのような対応をするべきか、どのような考え方をチームとして持つべきかが定まっていないと今回の高梨沙羅選手のように個人が重く責任を感じてしまう状況になりかねません。
サッカーのような団体競技では、普段から誰かがミスをしたら自分がサポートしよう、周りのサポートがあるから思い切りやってみよう、何があっても仮にペナルティキックをはずしても、チームの問題で個人を責めることはない、という前提の考え方が練習時からしみ込んでいます。
僕は団体競技であるサッカーをずっと続けてきています。
様々な定義はありますが「チームワーク」という概念の中でずっとスポーツをやり続けたので仲間意識がしっかりと作られてきました。そのおかげもあって、普段から失敗やミスに対してもお互いのサポートと責任の緩和が訓練されています。それがまさに団体競技でいうチームワークのひとつです。
「個人競技」を「団体競技」にする際には、団体競技の考え方を学んだり、他の競技の方から伝えたりする環境が生まれるとさらにスポーツ界が発展していくのかもしれませんね。
それにしても、今回の高梨沙羅選手の優勝はチームメイト、チーム関係者そろって喜び、ほっとしていることと思います。まさに個人競技を団体競技にした中で生まれる新たな「チームワーク」の誕生ですね。やっぱりスポーツは良いですね。
ロシアのウクライナ侵攻が続く中「平和の祭典」と言われる北京冬季パラリンピックが3月4日に開幕します。
パラリンピックという名称は1964年の東京五輪の際に名づけらた造語です。現在はParallel(パラレル/平行する、もうひとつの)とOlympic(オリンピック)を合わせた「もう一つのオリンピック」として解釈され、1988年のソウル大会から正式名称となりました。
それまでにも障がい者スポーツ大会はありましたが日本がつけた名称によって、パラリンピックは世界での認知が広まりました。日本は障がい者スポーツへの理解のきっかけを作ったともいえます。
この内容は「障がい者スポーツへの想い」①②③でもお話ししています。
こちらも是非、合わせてご覧ください。
また日本経済新聞で好評だった、障がい者スポーツを詳しく理解するための「まちがいさがし」も「Manga de Japan」で公開中ですので是非チャレンジしてみてください。