マンガデザインプロデュースby Manga Designers Lab.㉜ダイセルミライズ~三四郎との約束~
どうもどうも、吉良です。
11月に入りまだ暖かいなと思っていたら、急激に寒くなってきましたね。体調管理が大変です。そんななか11月16日・17日と両親の郷里の大分に行ってきました。
その目的は大分市内で初めて行う「いとこ会」への参加と、今年の5月に亡くなった父の遺影を持って父が生まれ育った故郷大分の実家、吉良酒造(日本酒)と牟礼鶴酒造(焼酎)への訪問でした。
まさに参加する努力です。
天国の父もさぞ楽しんでくれたと思います。
週末は九段高校サッカー部時代の仲間との会があります。この会の発起人の一人の松下三四郎氏(以下:三四郎)は父のいる天国に早々と旅立ってしまいました。命日は2022年10月1日。三四郎の66回目の誕生日でした。
詳しくはこのnoteに記してあります。
彼との思い出は数々ありますかが、その中でも亡くなるわずか4ヵ月前に一緒に行った九段高校サッカー部の会はとても思い出深い旅でした。
美しい富士山を見ながらまわる三四郎との最後のラウンドは、正直あまりよく覚えてないですが楽しかったことだけは確かです。
この後4人で行った、安倍晋三元総理大臣の行きつけの中華「湖宮」は三四郎の強いリクエストで行った記憶があります。うわさどおりの美味しさに舌鼓。
その後、宿のフジプレミアムリゾートに。たまたま僕と三四郎が同室で、そこでたくさんの話ができました。僕が電通を卒業後、起業したことに「よく頑張った」と褒めてくれました。
ターゲットメディアソリューションに続きマンガデザイナーズラボを新たに起業した2011年以降、三四郎に何度も仕事をいただき助けてもらったことをたくさん感謝しました。その内容の一部をご紹介します。
三四郎との最初のマンガデザイン作業は、2015年に手がけ、2016年に納品したDenka デンカ電子材料総合カタログでした(日、英、中)。
その後、彼が東洋スチレン(デンカ株式会社 50%、日鉄ケミカル&マテリアル株式会社 35%、株式会社ダイセル 15%)の社長になった後もマンガデザインでの作業は続きました。
松下社長を表紙にマンガデザインした東洋スチレン会社概要パンフレットを2017年から制作を開始し、2018年に納品しました。このパンフレットは今まで制作した企業のパンフレットの中でも、強く印象に残る作業になりました。
なんといっても「写真は絶対にいやだ」と言っていた彼が下記のごとく、「マンガデザインの似顔絵なら良い」と言って裏表紙に登場してくれたわけですから。
彼は自分の自画像をマンガデザインにするほど、世界初日本発のマンガデザイン手法を気に入ってくれていました。それがまさに三四郎との最後の会話、『三四郎との約束』に繋がっています。
この会話でおやすみなさいをして、翌日は朝食を食べて別れました。まさかその姿が最後の三四郎の姿になるとは想像だにできませんでした。
この三四郎の言葉は、しっかりダイセルミライズのスタッフにも伝えられていて、ミライズの三四郎を慕う幹部の皆様との弔い作業はスタートしました。
三四郎が亡くなった翌年の2023年7月、ダイセルミライズ山門社長との面談から弔い作業が開始。11月にワークショップ(オリエンテーション)、12月中旬に僕らも加わって2回目のワークショップをおこないました。
2024年2月7日についにラフ第1稿を制作しました。
2024年2月の第2稿。
4月上旬の第3稿。
そして、2024年4月『三四郎とダイセルミライズと僕』の固い約束が三四郎の死後、1年6カ月の時を経て完成しました。題して「世の中にはたくさんの「ミライズ」がある」
その後、この完成を祝い、ダイセルミライズスタッフとマンガデザイナーズラボスタッフで松下三四郎氏へ心からの献杯を捧げました。
この約束のマンガデザインはLEDデザインになり、ダイセルミライズの東京、関西のロビーに飾られています。
ダイセルミライズの皆様、ありがとうございました。
そして、ありがとう!三四郎!
そして、ダイセルミライズ山門社長、間下さん、清水さん、鈴木さん。
おかげさまで、三四郎との約束、みんなでしっかり形にできましたね。