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ビルマからミャンマーへ, ラングーンからヤンゴンへ

 現在、ミャンマーとも、ビルマとも呼ばれる国が、かつてイギリス統治下の、それもインドの一部と扱われていた頃、後のジョージ・オーウェルこと、エリック・アーサー・ブレアは、宗主国の警官と して当地の学校を卒業し、任務にあたっていた。その時に実際 に起こった出来事をエッセイにしたのが『象を撃つ』である。街 で暴れて言う事を聞かなくなった象を静める努力をするものの 、最後はその場で、最も権威的な人物として、象を見事撃ち殺す という期待を周囲に向けて演じなくてはならなかった苦悩について書かれている。のちにオーウェルは、休暇を口実に英国に 帰ったまま、警官を辞めてしまう。そして、その頃に書かれたのが、彼の処女作である「ビルマの日々」である。ここには「象を撃 つ」同様、植民地を統治する側、つまり権力側にある人間の内 面的敗北が描かれている。オーウェルが警官を辞めた理由そ のものだ。 ちなみに、ミャンマーでは、ついこの間まで、オーウェルの「ビルマの日々」以降の、「動物農場」や「1984」は出版禁止。つまり「禁書」だった。それは、あまりにも、ミャンマーがたどった、現在までの独自の社会主義軍事独裁政権による暗い歴史を予言し、それらを批判する内容だったからである。いや、オーウェルとし ては、スターリン批判だったのだろうが、軍政権下の市民には、そして、英国人と結婚したアウン・サン・スー・チーにとっての長い幽閉生活は、まさにオーウェルの描くディストピアそのものだったに違いない。

© comemo148177230

ご存知の通り、アウン・サン・スー・チーは、日本軍とタイの義勇兵と共に、イギリス領を奪還した建国の父アウン・サン将軍の 娘である。日本軍はビルマを一旦独立させた後、アウン・サンと の約束を反故にして、日本軍による軍政を敷いてしまう。その軍政も大東亜共栄圏とは程遠い内容だったために、アウン・サンは、早々に日本軍を見切ってしまい。再び、連合国側のイギリス に独立を約束させて、今度は連合国軍とともに日本軍を追い出す指揮を執る。しかし、またしても約束は反故にされ、イギリス 連邦下に封じ込められてしまう。その後、粘り強い交渉の末、独立が果たせた直後にアウン・サンは、国内の政敵によって暗殺されてしまう。これにより、アウン・サンが国内少数民族と結んだ ピンロン協定は未だ実現せず、ビルマは、一部の軍人による独自の社会主義国家として、長く世界から閉ざされた。ただし、この非民主主義の国は、自由とも、経済成長とも縁はなかったが、 現在、東南アジア最後のフロンティア(新自由主義による未開拓な市場)として、世界から注目を浴びている。私は、ピンロン協定をたてに連邦自治を要求し、戦うカチン州の反政府軍と軍 政権との仲介を模索する仕事に付き添い、2013年の3月にヤンゴンを往訪した のだが、旧首都のヤンゴンはまるで隣国の首都バンコクのように発展していた。そして、ヤンゴンから新首都のネピドーへ続く 道路を車で飛ばしながら、まるで半世紀前の日本を見るかのような畑や仏塔を眺め、果たして、この地に新しい政治体制が生まれ、世界に開かれると同時に、資本主義が傾れ込む現状をオ ーウェルが喜んで見たのか。それは果たして疑問である。彼は、ビルマ3部作の続きを書かなかったからである。

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