人生最初のバンド結成〜奇跡のような初ライブ

人生最初のバンドを結成した時の夢を見た。
夢ではあるが事象は100%真実だ。
だから関係者は伏せ字にさせていただいた。
夢は作曲に目覚めた中学生の頃から始まった。

事情があり中学校は自宅から駅5つ離れた健全で謳われた中学校に通うことになった。
頭のいい生徒がたくさんいた。
相変わらず勉強は嫌いで授業中にフラッと教室を出て音楽室で作曲していた。
音楽室が他に使われてる日はひたすらウォークマンで音楽を聴いてた。
この頃聴いてたのは60sサイケ、プログレ、70年代ぐらいまでのジャズ、パンク、ハードコア。
邦楽も聴くようになった。ラジオで聴いた小沢健二が良くてフリッパーズギターを沢山聴いてた。
丁度スペシャに入ったので、帰宅しても年中音楽を聴いていた。
これは目指したいなと思ったのは中村一義1stと、サニーデイ・サービスの1,2枚目、エレファント・カシマシ。
自分で積極的に彼らをカバーしようとは思わなかった。
意外にシンプルだったので耳コピはすぐに飽きてしまい中学上がる頃には完全に作曲へ移行して採譜は止めていた。
あとピアノに不自由さを感じていた。

話を小学生時代にピアノで作曲を始めたばかりの頃に戻す。
比較対象がないからわからないがピアノは作曲作業でやりにくさを感じた。
まあ、始めたばかりなので主旋律になるメロディと左手で和音を作ることしかできないのも不満だった。
本当は主旋律の裏に巡るメロディと、
左手のさらに奥に低い音でリズムを取る指が欲しかった。
もっと指が沢山あったらな、、
(まだ小学生なんでバンドを組むという思考はない)
仕方がなかったので再現は諦め譜面に書き残すことにした。
いつか誰がが演奏してくれたら良いな。
いろいろ試して、高音が単音で成立しているだけだったものが、低音と高音のメロディをズラして重ねたり、敢えて同じ音を他の楽器に任せて鳴らしたりすることで、左手の和音も生きてきた。
手が沢山あるわけではないので、頭の中で再現して楽しんだ。
左手はリズムに特化した形に切り替えた。
どうしても全体的に和音が強く欲しい時にはそのフレーズの頭だけ低音含め全ての音を鳴らした。
2度、3度のハーモニーはここで身に付けた。
henrytennisの3rd収録のAmericaはそれが結実した形だ。
この3つの音の時に転調したい時、何が気持ちいい音になるか徹底的に研究した。
そして、例えばCの後にどんな和音が来ればどういう気持ちになるか併せて研究した。
人の感情を和音と主旋律で表現したい。
そこからクラシックをひたすら作った。
以前父方の祖父が送ってきたCD30枚セットの「クラシック入門」なるCDがこの時期大いに役立った。
これが到着した時はそのまま押し入れ行きだったが、
音楽に目覚めてからはこれがたまらなくなった。
すでに学校とかで知ってたベートーヴェン、モーツァルト、バッハは改めて別格だったけど、ドヴォルザーク、ブラームス、ラヴェルには驚いた。知らない技みたいなの沢山教えてもらった。
音楽を一切学んでないからそれがなんと呼ばれているかはさっぱりわからなかったが自分の作品にプラスになると判断した技は遠慮なくガンガン頂いた。

そうしてピアノを徹底的に触って音で遊び尽くしていたが、
中学生になるとやはりギターが欲しくなってきた。
そこで誕生日に¥9800アコースティックギターを買ってもらった。
ビートルズの映像を見てるとピアノはほぼ弾いておらず、みんなギターなど弦楽器を弾いていたのでギターが欲しくなったのだ。
普通の子供がギター買ってもらってまずやるのがポージングだと思うが、僕はまったく興味がなかった(だから今でもステージでかっこいいポージングができない、と反省している)、ビートルズのリズムギターの教則本を買ってひたすら弾いたが全く上手くならない。あと指が痛い。以降ギターのことはすっかり忘れて、
またピアノに戻りポップソングやクラシック曲を作った。
しばらくしてすぐにギターは埃を被り出した。

中学校ではとてもモテた。
今の惨状を考えると全く想像できないと思うが、
当時の写真を見ると可愛い系のマッシュの男子(まだ目は悪くなってなかったから眼鏡はない)で、髪の色も染めていないのに明るかったり、性格も親しみやすく明るい盛り上げ役のタイプだったので、ひたすら告白されていた。しかし結局、お腹も出て変な顔になり、歌がない売れない変な音楽を作る奇妙な変態が仕上がりました。反省。
女の子は付き合った子も居たけど、何よりも大事なのはそれでもやはり音楽だった。その頃はビートルズから始まり60sレコをヒッピー画家だった母の膨大なサイケバンドコレクションで得て、そこから、またいつか話すが、中学に入った頃、プログレに強烈にハマりそれしか聴いていなかった。洋楽では同時代にボンジョビやガンズがいて、日本にはビーズ(ピーズならどんなによかったことか…)がいて、世界はとても邪悪に見えた。日本の音楽についてはテレビで母が音楽番組をひたすら見せるから見ていたが、碌でもないと思っていたし、益々6,70sものの母が持っていないレコードを探して歩くようになった。当時の洋楽はモトリー・クルーやLAガンズ、ファイヤーハウス、ウォレントや、ちょっと遡るとヨーロッパなど、みんな同じように髪をライオンみたいにしてでも爽やか、汗も美味しそう、みたいなのが圧倒的で、友達はこういうのを聴いて盛り上がっていたが、僕はこういうのが偽善に感じてしまい受け付けなかった。ジャーマンメタルも隆盛していて、メタルじゃなく、クラウトロックだろが!って思ってた。しかし、ハードロックの中にも例外のバンドもいてメタリカ、メガデス、スレイヤー、アンスラックスのスラッシュメタル四天王は好き、というよりめちゃ好きだった。他の髪の毛がライオンみたいになってる人たちと比べ、同じライオンなんだが、たてがみが汚いというか親近感というか、はっきりと「本物感」があった。他にもスラッシュメタルはセパルトゥラ、パンテラ、サンクチュアリあたりは愛聴していた。
そう言った流れから僕はまたギターを弾きたくなった。前回はアコースティックギターだった。セパルトゥラはライブ最初から最後までアコギで歌い終えたりはしないだろう。やはり、エレキだ。

僕は郵便配達の貯金を使い、中学校を卒業した記念にジャンプに広告を載せていた通販のエレキギターを買った。
なぜ中学生が郵便局に?って思われた思うが、これも後日書きます。時効だし。まあ理由も理由だし。
エフェクターも店員に聞きながら¥4000ぐらいで売っていたディストーションというのを買った。音がメタルみたいになるらしい。
最高にクールだぜ!

しかしいざ練習を始めるとスラッシュメタルではなく、ビートルズなど60sのバンドや、50年代のロックンロールをひたすら練習し出した。たまにディストーションというのを弾いてみるとすごい音がして自分が偉くなった気がした。ただ単によく仕組みがわからずボリュームと歪みをmaxにしてただけなんだが。。
ギターはビートルズの曲が入っているコード譜を毎日寝る、食う、学校に行く、以外は全部ギターを触っていた。…食う時もギターを抱えていたし、学校でも勉強などせずひたすら頭の中で作曲して譜面を書き、帰宅して再現した。

なんか、バンドやりたいかも。。
そう思ったらすぐに動き出した。
まず友達の集団いくつかに声をかけたところ、
Mくんがやりたいと言ってくれた。
Mくんはボーカルと鍵盤がやりたいという。
俺はギターだから丁度いい。
どうして鍵盤?と聞くと、坂本龍一だよ!!
YMOだよ!俺は有名になって坂本龍一に会うんだ!
と、Mくん。
当時邦楽は自分でスペシャかラジオで得たものしか接種しなかったので、Mくんが必死に聴かせようとしても、俺はYMOを聴かなかった。
聴いとけばよかったのに。
まさか後に坂本さんと直に話すことになるとは、 当たり前だが当時は全く思っていなかった。
俺がYMO、ヒカシュー、ハルメンズ、 P-MODEL、ゲルニカ、ボアダムスなど超かっこいい先輩方を知ったのは高校に入ってからだ。仲良しの友達に教えてもらった。ヒカシューにしても、お前はこの歌ってる人と将来イベントで何度かご一緒し、コードの冗談を言い合える仲になれるよ、と未来の自分が言っても全く信じないはずだ。
先輩方の中でもヒカシューは特に尊敬していたからだ。
ドラムはもっと早く見つかった。
Mくんの友達のSくんだ。
Mくんとバンドを組む話をしていたら、
Sくんが話に入ってきて、プラスチックの練習用ドラムキット買ったんだよ。YOSHIKIになる!
母ちゃんも父ちゃんも夜になるまで帰ってこないから、俺をバンドに入れてくれたら練習場所は問題ないぜ、と言ったので、当時はYOSHIKIがなんなんだかよく分からなかったが、即座に彼の加入が決まった。
しかしいくら探してもベースが見つからない。
仕方なくベースレスでやることにした。
俺は、ドアーズがベースいない1stの頃、レイ・マイザレクは左手でベース音が出る鍵盤を使ってベースの代わりにしてたよ、と話した。
Mくんは早速翌日に楽器屋に行って買ってくると、
バンド最初のリハが始まった。
今日から俺らの栄光が始まるんだ、突っ走るぜ!
俺らはやる気満々だった。

しかし、、あまりに趣味が違いすぎた。
MくんはYMO一択、俺はドアーズ、The 13th Floor Elevatorsなどサイケ、Sくんはスターリン、バクチク、X japanと、
全く合わなかった。
当初のリーダーMくんが、それぞれのやりたい曲を1曲持ってきて合計3曲やろう!と言った。

まずは俺の13thfloorをやってみた。
全員バンド初心者だから緊張が漲っている。
Mくんは80s感バリバリの音で、Sくんはかなり前のめりのドラムだ。
ドラムのことはよく知らないけど、タムを叩きまくりバスという足で叩くドラムが突っ込みがちな気がする。
譜面を書き直したい気分にさせられた。

続いてMくんがYMOのテクノポリス。
これはMくんが鍵盤に専念し、
僕がギターでベースを弾いた。
ドラムはかなり苦戦していた。
抑制された感じを出すのが苦手に見えた。
鍵盤は思ったより上手かった。
どうやら彼も独学で鍵盤を学んだらしい。

バンドはその後毎日、学校後にSくんちで練習するようになり、
すごい勢いで実力をあげていった。

丁度俺たちがライブをやりたいな、と思い始めたタイミングで町内の商店街で祭りがあり、そこでステージが置かれライブが出来るらしいことを知った。
俺は早速抽選に応募した。
キャリアの欄には書くことが全くなかったので、

天才中学生バンド、荒々しく登場!
若さの荒波に呑まれろ!

みたいなことを書いた。
バンド名を書かなくてはならなかったので、
3人で自分で決めたバンド名を用意してくじを引いた。
英語縛りだった。
当たったのはSくんだった。
書いてあったのはDark, Death, and School Lifesだった。
もう受け入れるしかなかった。
ちなみに僕は、There Are
Mくんは、Machine Mans

俄然盛り上がった僕らはセットリストを決めてライブのための練習を始めた。
セットリストの中には僕の曲も入っていた。
ディランぽく始まり最後はヘイ・ジュードみたくなる曲と、NirvanaのNEVERMINDに入ってそうな早い曲だ。その他はYMOが2曲、SくんのバクチクとX japanが2曲。
ライブのステージは商店街の道幅を覆うように設置され前から後ろまで長細い客席になっていた。
 
出番が来た。
俺は全く緊張していなかった。
袖で円陣を組むと、「いくぞ!」「やー!」
と掛け声をかけて士気を鼓舞した。
後年、1stの頃のメンバーは必ずこれをやっていた。
「俺たちは最強かあ!!」
「YES!」
「全てぶちのめす!!」
「YEAH!」
これ文字にすると笑ってしまうんだが、
実際全員が絶叫してやると、めっちゃくちゃ上がる。

Mくんが緊張する、と言い出したが俺は全く緊張してなかった。だから体をくすぐって笑わせたりした。
俺はライブで緊張したことがない。
今まで一度もしたことがない。
この遥か先にある異国の大勢の観客の前で披露したフェスでも国内で大箱でやった時も全く上がらなかった。
Mくんの頬を軽く叩き一言、「さあ、ぶちかまそう」
司会者の呼ぶ声で俺らはステージに上がった。

ライブは最高だった!
演奏のミスもなくどうなってもいいや、と開き直るMくん、すっかり自制が効くようになったSくん。
自作曲も反応が良かった。
奥田民生の「息子」にちょっと似ている。
あれ自体ヘイ・ジュードに似ている。
Mくんが「この曲はうちの作曲担当奥村君が作りました」
突然言われたので俺は何も考えていなかったので、ギターを銃に見立てて皆殺しみたく全体を撃っている真似をした。
バクチクとX japanのカバーが一番盛り上がった。
両バンド共どう表現するのかがよく分からなかったので、めちゃくちゃノイジーにやってみた。
それ対抗する為にSくんはシンバルなどをガンガン叩いた。
Mくんは何を考えたか目の前のマイクに向かってずっと絶叫してた。
僕らは楽曲を全て終えてステージを降りた。
しかし鳴り止まない拍手、アンコールだ!
しかもアンコールなど考えてもいなかったので参った。
ステージ脇の係の人にアンコールやれるか聞いたら、
時間あるからやってきなさい、上からなんか言われたら、うるせえ、って言い返しとくから、と言いニヤリとしたので、
急遽アンコールをやることになった。
しかし曲はもう無い。
「やった曲をもう一度やろう」 とMくん。
「それはない、ダサい」と俺。
少し考えて、Elvis PresleyのCan't Help Falling In Loveをめちゃくちゃパンクにやろう、と提案、
すぐにその場でギターケースからボールペンを取り出しフライヤーの裏にMくん用のコードを書いた。
その間Sくんは客席を冷やさない為にステージで1人タップダンスをやりながら、1人漫才をやってて、
それが結構ウケてたので客が逃げずにいてくれて助かった。
さあ出ていこう!
するとMくんがまた「緊張でおしっこがしたい 帰りたい」と言い出した。
俺は「ステージに上がれるのは一部の定められた人間だけだ。俺たちはその末席にこの若さで座ることを許された。さあ無茶苦茶やってやろうぜ!今は今しか訪れないんだよ!」

俺らが全員ステージに上がるとアンコールは止み、
おれらの動向をみんな黙って見てた。
俺はMくんのとこまでいって「ネックを上に上げたらスタート。ボリュームレベル2つあげていい」と呟き、Sくんには「ネックを上に上げたらスタート。周り音が大きくなる。負けない強さで叩け」と言って、自分はアンプのメモリをほぼmaxにして、
最初のコードをかき鳴らした。
すごい気持ちいい。すげーノイズ。
その後アンプに向かいギターをズリズリ擦り付けながら、
マイクないのに絶叫を繰り返す。
後を追うようにフィードバックノイズが空間を埋める。
 ギターとアンプが共鳴してるからこんなノイズが出るのか、いろんな場所で使ってみよう
そのまま僕はThe Jesus and Mary Chainみたくカッコをつけてノイズを出しながら、いかにも知ってそうな顔をしてフィードバックを出し続けた後に俺が体を思いっきり反らせて「1,2,3,4,!」と絶叫してネックを上にかがけて、
すぐに歌い始めた。
Mくんが付いて来れるか心配だったが、
顔を見たら笑顔だったので、カッティングをさらに早めてエルヴィスのパンクバージョンを完遂、
沢山の拍手をもらいながら退場した。
最前列にいた大学生数人が寄ってきて、本当に中学生?すげーよ、君ら、マジでやばかった!
と言ってきてサインをねだられたので、彼の白いTシャツの背中に彼らから借りたサインペンで自分の名前とバンド名を大きく書いた。
僕は大学の学祭に出たい、とお願いした。
話をしとくよ、と言われ、彼らは帰って行った。

俺たちは中学生だったのでお金はもらわなかったが、
代わりに主催の方からドリンクをいただいた。
「どうだった?」
俺は自分らの機材を撤収しながらMくんに尋ねたら、
「最高だった。こんな気持ち初めて味わったわ」
と言った。
俺たちはすぐ楽器を置いた後、次のバンドを見に行った。
見た目結構年季が入ってるおじさん達のバンドだったが、
生意気だが俺らのが数倍カッコよかったな、と思った。
その後にもいくつかバンドやユニットが出たがどれにも満足いかなかった。
俺たちは決死の覚悟で臨んでいたからガッカリだった。

イベント終わりイベント自体の撤収手伝いをした後、Mくんのお母さんがくれた夕飯分のお金を使ってファミレスで騒ぎながらひたすらメシを食いドリンクバーしまくった。
なあ、おい、俺が言った。
半年以内にベースを入れて高校生になったらすぐライブハウスでやろう。
曲はためとく。
俺たちは凄い存在なんだ。
やれることはきっちりやろう、それだけできっと有名になれるよ。
2人は頷き、Mくんが手の甲を差し出すとS君がその上に手を置き、最後に俺が手を置いた。
「俺目指すものがわかったわ」とMくん。
こんな強い顔するんだ、ってぐらい真剣な顔をしていた。
俺も頷き、S君は立ち上がりドリンクバーに行った。

中学生でもライブやらしてくれるとこあるかな?やはり経験は早くしといたほうがいい、
とMくん。
あるよ、足立区になっちゃうけど年齢制限なしって書いてあった
それなら早速明日電話してみようぜ
腹一杯になった俺らは俺は電車で、2人は徒歩で帰宅した。
最寄りの駅に着くと夜空は美しかった。
ノイズ気持ちよかったなあ、
ライブハウスで出すとどうなるんだろ。
お客の反応みんなすごかったなあ、
中学生だからかな。
まあ、いいや。
貰えるものはもらっとくぜ。

家帰って曲を3曲つくりそれを手直ししたら22時、
奥村家の就寝時間近くになったので、風呂に入り、
歯を磨いて、パジャマに着替えて横になった。

しかし、興奮して眠れない。
だからイヤホンしてビートルズを聴いていたが知らぬ間に寝入ってしまった。

眠りの中で眠りから覚めると、
大観衆の声援、知らないスタジアムに自分がいた。
ウッドストック並に客が入ってるなか、
登場する俺たち、やあやあ最高だね!
あれ、
メンバーみんな知らない奴らだ、、
…まあいいか、
スタンドマイクを掴み客席に向かって叫び声を上げた。
みんな大騒ぎ、になるかと思いきや、
客が次々去っていく。
というか消えていく?
俺は言葉なく立ち尽くしていると、
肩を叩かれ後ろを向いた。
1匹の二足歩行の兎が立っている。
君は今いくつだい?
え?、、おれいくつだっけ。
兎はじっとみている。
…48だ、俺は48…、と答えた。
14歳じゃないの?君は中学生だよね?
いや、今生きてここにいる俺は48歳だ。
14歳の君はどこに行ったの?
…わからない。
でも今は48歳で、大型フェスに呼ばれて今から演奏をするんだ、みんなで。
気づいたら後ろにいたメンバーは全て消えていた。
兎は言った。
この国ではどんなに良くてもなぜか若くなくなると売れない定説があって、君はもう若くない。
そろそろ、覚悟を決めたらどうだい?
と言って兎はステージ中央に垂れ下がってる首を括る為の縄を指差した。
もう誰もいなかった。
兎と俺だけだ。
そっか、才能より生きた年数が一番考慮されるから、
デモ募集も必ず年齢を書かせるよな。
48歳の俺はなんで14歳の頃のことなど思い出しているんだろ。
兎はとても残酷に楽しみを待つ顔に変わっていた。
その顔はとても醜かった。
俺はゆっくりと垂れ下がってる縄に向かっていった。
途中、後ろを振り向いたが兎はもう居なくなっていた。
俺はまた前を向き縄に目を移して歩き出した。
とても寒い。
凍りそうだ。
気づいたら辺りは吹雪だった。俺は震える体をギュッと両腕で抑えながら、惨めで悲しい気持ちになった。
視界が奪われる中、縄だけははっきり見えた。
14歳の思い出を抱えた俺は48歳の姿で縄に向かっていた。吹雪は止める気はないようで、
後押しもせず、立ちはだかるわけでもなく、
ただただ、俺は寒かった。
やがて何も聞こえなくなった。








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