時間とお金をなくすには
現在、最も危険な落とし穴は、有益な行為のフリをすることで、贅沢に対するアラームを無効化してしまう新しい種類の行動パターンだ。そして最悪なことに、有益な行為のフリは楽しくすらないのだ。
ポール・グレアム「時間とお金をなくすには」 - らいおんの隠れ家
浪費には警戒するが、投資にはそれほど警戒しない。結果大金を失ってしまう。そのような事態を避けるためには意識的に学習する必要があるとグレアムはいう。
どのように意識的であればよいのだろうか?
「投資」の顔をしてやってくる浪費に陥らない
「利益を得る」可能性があっても、「充分」知らないことには手をさない
「楽しくはない」からといって意義があるわけではない
同様のことは金銭だけでなく時間についても言える
だが一日中テレビの前に座っていたほうがマシだった、という日も確かにある。一日を過ごした後で、「自分は何をしただろうか?」と自問した時、答えが「特になにも」になるような日だ。そんな日の後でも残念には感じるだろうが、テレビ前のソファーでまる一日を過ごしたほどの罪悪感はない。丸一日をテレビに費やしたら、自分が堕落していると感じるだろう。だが同じアラームが「実際には何もなしとげられなかった日」には鳴ろうとしない。表面上は働いてるように見えるからだ。たとえばメールへの返信だ。机に向かいながらメールを書く。退屈だ。だからこれは仕事に違いない。(中略)現在、最も危険な落とし穴は、有益な行為のフリをすることで、贅沢に対するアラームを無効化してしまう新しい種類の行動パターンだ。そして最悪なことに、有益な行為のフリは楽しくすらないのだ。
願わくば私が今行っている行為が、有意義でありますように。
ところで、有意義とは、私の人生にとってなにをさすのだろうか?