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読書。「冒険の書 AI時代のアンラーニング」孫泰造。半分まで読みました。

現代の学校教育に疑問を持たれている方、子供たちに自ら楽しく学んでいってほしいと思う方、必読です。

自分も子供を持ち、子供をどのように教育するか?
日々考えています。
自分の最優先課題はこれかな、と思っています。

そんな中、手に取った一冊です。

この本を読み始めた時、
基礎を否定されたりと結構刺激的なことが書かれていたため、「大丈夫かな?」という思いが沸き起こってきてしまいました。

それでも暫く読み進め、半分ほどまできて、この考え方についていきたいと思いました。

本来、学びとは遊びの延長で自ら学ぶもの。
遊びと学びが切り分けられてしまったために学びがつまらないものに。
仕事も昔(1700年くらいまで?)は子供も大人も関係なくやっていた。しかし子供は弱くて怪我もしやすいため、守られる存在になってきた。
そして、子供が安心して学べる場所として学校が作られてきた。
学校教育というものは社会に適合する人間を都合よく効率よく生み出すために作られたもの。
起源はパノプティコン。パノプティコンとは囚人を監視する施設。
円形の建物の円周上に囚人の部屋を置き、中心からどの囚人も監視できる状態。学校も子供を社会からはみ出さないように監視教育する施設。

今、その学校が学びはつまらないものという弊害をもたらしている。
時代、進化は螺旋状に進むという。
今の学校という制度ではなく、昔に戻り、生活の中、遊びの中、仕事の中に学びがある世界にしたい。
昔は、遊びと仕事は分けられていなかった。仕事と休憩、学びと休憩が分けられたことで、それらが分断されて楽しくないものになってしまった。

子供が過保護になりすぎている。
失敗をさせない社会。
子供を大人と分断し、大人の都合の良い社会を作り上げ、子供はそこから隔離して保護し、またその社会に適合できるようにする。
これでは、ダメだ。
失敗を恐れ、新しいことに挑戦しない、言われたことをやるだけ。。。。
これじゃー、楽しくないよね。
もっと、楽しくいきていきたい。
自分で考え、自分でやってみて、楽しむ。
人から言われたことだけやっていたって、楽しくなよね。

技術の進歩により、機械化が進んだと言われるが、
技術の進歩により、人間の機械化が進んだ。
人間が機械を使っているのではなく、機械に使われる人間。
また、機械のように動く人間。

今、生成AIなるものも出現し、いよいよ、SFに見たような世界がマジかになってきた。
さらに、人間の機械化が進むのであろうか?
または、人間は機械の養分として生きる道を選ぶのだろうか?
脳には、バーチャルで快楽を得られるドーパミンを摂取されるという報酬を得る代償として、機械の一部となりエネルギー源となるのか。
いよいよ、マトリックスの世界になるのか。

そんな世界は、嫌だな。
マトリックスの世界にまでならないにしても、
言われたことだけをやって生きていくのって、何だろう。

食べる為に生きるのではなく、生きる為に食べる。
所詮、人間が生きる意味なんてものはないのだろう。
意味を求めて生きても仕方がないのではなかろうか。

だったら、自分が楽しめる生き方をしたい。
自分が楽しいと思えることをやって生きていくということ、それが意味のある人生ではないのだろうか。

自分が住んでいる地域、自分の子供たちに、こういう環境で学びを自主的に行えるようにしていきたい。

PS。さて、池田晶子さんの本が恋しくなってきました。

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