人は変われないけど変われる
今日も筋トレをして、肥大した自分の筋肉にご満悦。
まだ2週間しかしていないけど、だいぶパンプアップしてきたなと。
今日は、筋トレの様子を動画で撮ってみたけど、非常に微妙。
特に、リフトアップ(ただの腕立てをカッコよく言ってみた)は、全然下がってないんだもん。肘を90°は意識しているんだが、肩甲骨を上手く使って、肘だけは曲がっているように仕向けている。ズルさが見られた。家で一人でやって、一人で動画を見ているだけなのに、私はズルをしている。乳酸に耐えられないのだ。弱いのだ。
さて、嗜好を変えて今日はnoteの記事を読んでの感想をまとめてみたい。
「強いチームほど挨拶が出来る理由 RUN-LINE」を読んだ。2年前にも読んで、素敵な記事だったので、「いいね」を押していた。
たまたま過去のいいねをした記事をぼんやり見ていたら、また気になったので読み直した。またまた目から鱗であった。興味のある方は、下のURLからご覧いただきたい。素敵な記事である。
要するに、強いチームは「俺たちは強いチームなんだ」という自負が芽生えることで、当たり前のことを当たり前にやろうとする意識が芽生えてくるのだ。チームの雰囲気はチームの実績から生まれやすい。
挨拶をできるようになって(人間的に成長して)、チームが強くなったという順番ではなくて、チームが強くなったから、挨拶ができるのだ。順番が違う。
自信がそうさせているのだ。でも「自信をつけなさい」と誰かから言われるものではない。自信は自分の支えになる実績が持たせることが多いと私の実体験からも強く感じる。
前提として、これは「チーム」の話である。
個人レベルでいうと、挨拶が出来なくて勝負強い人と挨拶が出来て勝負弱い人では、もちろん前者の方が「強い」と言えることが多い。強いは、競技レベルが高いということ。
この考え方の裏打ちは「コンフォートゾーン」という考え方から来ている。
自己評価をどのように持つかによって、その自己評価と遠く離れたところに立たされると急に居心地が悪くなる。それは低いレベルも、高いレベルも同様。すぐさま自分のちょうど良いところに戻ろうとする。これがコンフォートゾーンだそうだ。
例で言うと、テストでいつも60点前後を取っていた生徒が、急に90点をとると、ばつが悪そうな表情をして、次回のテストで60点に戻ろうとするらしい。これは潜在的な意識でそうしてしまうらしいので、どうにか抗おうとしても上手くいかない。
となると、コンフォートゾーンを決めるのは何か。
それは、「家庭環境」である。
これ大事なところですね。
自分自身が育ってきた環境や経験が基になって、そっちに向かうように自然となってしまう。コンフォートゾーンに向かうのである。
また、遺伝的な要素も大きく影響して、親と同じような行動をしてしまう。
だから、私自身はもう決まっているのである。変わらない。
そう思っているにも関わらず、「そんなことない!」「そんな人生楽しくない!」と叫んでいる自分もいる。
私のような駄文に付き合ってくださり、読んでくださるだけで励みになるのに、いいねをしてくれる人がいる。本当にありがとうございます!
その方のプロフィールで「Be the change you want see in the world.(見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい)」という言葉があった。
本当にそうだよなと改めて思った。
あなたが見たいと思うなら、あなたがやりなさい
人生を楽しみたくて、いろいろな景色を見たい。
だったら、変わるしかないじゃん!
コンフォートゾーンに吸い寄せられるわけだが、抗うことを決めたのだ。
「いやだ、いやだ!」と駄々っ子になっても状況は変わらないだろう。
だからこそ、大事なのは環境なのである。
自分の面白そうなアンテナが反応した環境、一流と呼ばれる環境などの身を置くことが初めはすごく居心地が悪くても、足を突っ込んでみる。
次第にコンフォートゾーンに変わっていくだろう。
でもそのコンフォートゾーンに留まり続けるのも違う。
新たな環境を探して、変わり続ける。
きっと今年、筋トレをやってみようと思ったのも、コンフォートゾーンに抗いたい1つなのかもしれないな。