人間蒟蒻
ほんの数年前、世界は意外な形で終末を迎えた。
文明は過度に繁栄し文化はそれを反映する多様性を持った。あらゆる雑多な音階で五線譜は蹂躙され、筆はすべての色の絵の具でキャンバスを舐め尽くした。
結果、絵画は黒い塊・ブラックホールとなり、無限猫が無限長鍵盤の上を歩くのが音楽となった。娯楽が飽和してしまったのだ。窓を開けるのがエンターテイメントではないように。息を吸う行為を娯楽と呼ばないように。記憶領域を拡張し各町内に脳と通信互換性を持つデータセンターを持つ人類は、今まで娯楽と呼んでいた娯楽を認識できなくなった。
確かに我々は過去最高の医療を得ている。死んだ人間は生き返るし、生きた人間は複製される。土塊から人間を作り出す。人間と人間を合成して新しい人間にする。なんでもできた。
しかし医者とキチガイコンニャク職人、どちらが偉いだろう。患者にとっては医者だろうか。不治の病に冒された少年であれば後者を選ぶだろう。前者は彼が死ぬまでに彼の体を弄ぶ悪魔でしかないから。キチガイコンニャク職人が顔面全体にチックを浮かべながら荒々しくコンニャクを作る様だけが、彼の憂鬱を紛らわせるのだろう。
人類が皆、生きる意味を見失った。何をしてもストレージされた娯楽以上の事は起きないのだ。首を吊ったとて、死ねないのだ。ヒトがヒトたる所以の知的好奇心探究心と冒険への渇望熱望は熱的に死んだのだ。だから、ストレージされていないなにか、唯一この世界にもたらされていない具象、つまり、人間蒟蒻はキチガイコンニャク職人に作られる必要があった。
それは熱望を冷やし、自身に熱望を蓄え、他のストレージに熱を与える。人間の凝り固まって淀んだ世界観を搔き乱す。それがコンニャクである限り。それが人間で構成される限り。言うまでもなく人間蒟蒻は人間から作る。
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そのコンニャク職人はコネ手を止めた。仕事をその場に留めて非人間蒟蒻以外の蒟蒻を夢想した。それは白昼夢で、過酷な非人間蒟蒻に対する重いノルマからの逃避だった。人間蒟蒻は、作り方が2つあるだろう。
1つを便宜上、「人類蒟蒻」と呼ぼう。人間をコンニャクイモとみたてて処理する。すなわち
【すりおろし】人類を最小単位まで分割する
【のりかき】糸を引くまで各最小単位の関係性を練り合わせる
【かため】文明が燃え尽きたアルカリ性の灰で固める
【ゆで】地獄の釜に突き落とす
これは地球を見下ろす巨大なキチガイコンニャクを形成するだろう。人間全員を孤独という最小単位に貶め、禁忌を物ともせず様々な関係を持たせ、崩壊した基盤で地面に括り付け、ふさわしい罰を与えるのだ。
欠点は唯一つ、自分自身も「人類蒟蒻」を構成することになるのだ。なぜなら自分がホモ・サピエンスだから。その点「人間蒟蒻」は優れていて、一口サイズで食べやすいものになるだろう。あとは蒟蒻を人間にして他の人間と合成するか、直接人間を蒟蒻化するか、どちらがいいか。
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キチガイコンニャク工場長は石灰に侵されて鉄のようになった腕をキチガイコンニャク職人のコンニャク頭に振り降ろした。バカでかいケツを蹴り上げた。バケツを頭上でひっくり返した。キチガイコンニャクを作っていないキチガイコンニャク職人に、キチガイコンニャク工場廃水は牙をむく、白昼夢は生産的ではないのだ。
彼の文明は崩壊してしまった。気狂いじみた蒟蒻への執着が彼を文明人たらしめていたのに。社会から分離して最小単位まで分解された、彼は孤独そのものだった。それは向精神薬で抗える類のものなのだろうが、やはり寂しかった。あらゆる画廊を訪ねて、すばらしいハーモニーに導かれて、彼は慰みを探した。しかし何もかもストレージされていた。検索したほうが早かった。画廊は廃墟で、街角演奏家はホームレスだった。彼にも、寄る辺がなかった。娯楽に夢をみることができなかった。
キチガイコンニャク職人は途端に世界に戻された。途方に暮れた。路頭に迷った。やがて失った理性は脳を野生化させ、手に残ったコンニャクの感触、コンニャクに対する執着を活性化させた。
職人はかつて絵画と呼ばれていた黒塊をふみふみ、無限猫の旋律をよそに、それを焼き、灰を得た。あとは人間、蒟蒻が必要だった。うってつけの場所があった。それはやはりかつての工場しかなかった。
明日。火の落とされた蒟蒻炉が目を醒ます前に、地獄の釜は口を開ける。