宇多田ヒカル「Laughter in the Dark Tour」※ネタバレあり
8年越しの願いが実り、宇多田ヒカルのライブに行ってきた。(※長い&ライブのネタバレを含みます)
さかのぼること8年前、活動休止直前のライブすべての抽選にもれた私は、映画館で同時中継されるというライブビューイングに参加した。
ほぼ満席の府中のTOHOシネマズ、かろうじて空いていた席で宇多田ヒカルの姿を目に焼き付けようとした。
けれど実際ライブが始まってみると、涙で何度も視界がみえなくなり、終盤になるともう自分のかたちがよくわからなくなるくらい(自分でもひくほど)泣いていた。涙は流しっぱなし、ハンカチはもれそうな嗚咽を抑えるために口もとに押しつけていた。
なんであんなに涙がでてくるのか、自分でもよくわからなかった。しばらく(もしかしたらこの先ずっと)歌がきけないさびしさも、かなしさも、もちろんある。当時の自分の心境とも何か重ねていたのかもしれない。
けれどそれ以上に私の涙腺を刺激したのは、あの時の宇多田ヒカルのひとつひとつの表情だったのかもしれない。なんともいいようのないすがすがしさや清らかさに心を揺さぶられていた気がする。そんな風に決断して前を向いて歩き出す彼女にファンとしてかけたい言葉は、決まっている。
ありがとう、いってらっしゃい、まってるよ。
心の中で何度も唱えた。
上映終了後、立ち上がれずにいると、視界の隅に同じようにシートに沈んでいる人の気配がした。ちらと見ると、流れつづける涙をはらいもせずもう宇多田ヒカルのいないスクリーンをまっすぐみている。
私はその人と並んでしばらくスクリーンをみていた。もはや修復不可能な顔のほてりだけでも冷ましたかったし、まだ余韻にも浸っていたかった。なによりこの人も立ち上がれないし立ち上がりたくないのだと思うと、勝手に親近感をおぼえたし、なんなら少し話しかけてみたいとさえ思った。
けれど、背後からやってきた清掃係の人の「あの…」という戸惑いを含んだ声によってその思いは吹き飛び、逃げるように出口へ向かって歩いた。
あれから8年。(前置きが長くなってしまいました)
11月7日。横浜アリーナ、センター席の後方に座った私は、あのまっしろなスクリーンを思い出していた。スクリーンの前で立ち上がれずにいた私の目の前には今、バンドセットが組まれ、あと数分もすれば宇多田ヒカルが現れる。念願のライブ初参加だ。
1曲目の「あなた」の出だしから、体の芯がびりびりした。何度もアルバムをリピートしてきたけれど、実際にきく声はその何十倍も何百倍もパワフルで、休養直前ライブよりも確実にパワーアップしていた。繊細で、大胆で、素朴で、豊かで、まっすぐで。耳だけじゃなく心身の感覚すべてが反応するこの感じは、「魂が喜んでいる」とでもいったらいいのか。
聞き入りながら、人間の根っこにある泉について考えていた。宇多田ヒカルの泉の純度の高さ、真摯さ、ブレなさ。隠しても隠し切れない、本質のようなもの。本質的なものは、必ず人の心をゆさぶる。こんなにたくさんの人がいるのに、自分だけにむけて歌ってくれているような気持ちになる。
復帰後にリリースされた「あなた」からはじまって「道」、その後は「travering」「Colors」「光」など休養前のヒット曲も多く歌ってくれた。「道」は私にとって特別な曲なので、聞くことができて本当にうれしかった。
本質的に生きる人
MCでちょっと恥ずかしそうに水を飲み、はにかみながら喋る宇多田ヒカルは、歌っているときの姿とまた少し違ってみえた。歌う時には大きく広げていた翼を、MCでは少しとじて休めている感じ。少年のような少女のような、無防備なかわいさが爆発していた。そして、
「待っててくれてありがとう」
「今日は私もひとりひとりの顔をみるように歌いたい」
「頑張ってきてよかったなって思います」
一語一語、自分の感情と一致する言葉を探しながらつぶやく姿は、以前「SONGS」でみた姿と重なった。
感動的なことを言おうとか、なんとなく盛り上がることをしておこうとか、そういうものがない。本当に本質的に生きている人なのだと感じた。
「おかえり」と「ありがとう」
ライブの後半、楽しいショートフィルム(ピース又吉と共演!)の後宇多田ヒカルが登場したのは、なんと私の目の前だった。センター後方のスタッフ席の一部がせりあがりステージになったのだ。そこでは「花束を君に」と「真夏の通り雨」を歌ってくれた。
2曲を聞いているうちに、さまざまな運命によって彼女は「歌をつくらずにいられない」もしくは「つくらざるを得ない」人なのかもしれないということを頭のどこかで考えていた。歌うことを求め、求められ、歌によって救い、救われ。
勝手な想像によるものだし、表層的なものだけで語れるものではない。わかったようなことは言いたくない。
ただ、休養期間を経て彼女が再び歌うことを選んでいるということを思うと、彼女と歌とのつながりの深さを思わずにいられない。この場に立ってくれたことが本当にうれしくて、何度でも「おかえり」と「ありがとう」を言いたくなった。
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アンコール前、最後に歌ってくれたのは「Play A Love Song 」。この曲、サントリーの炭酸水のCMで聞いたことのある人も多いと思うけれど、ぜひ歌詞にも注目してほしい。ピース又吉とのショートフィルムでも「闇を見てきた人の光」というような台詞があったけれど、本当にその通りだと思う。何周かしてきた人の、それでも愛をうたうよというすこんと抜けた決意のようなものを感じる。
素晴らしいものは色あせない、本質的なものはゆるがないし、強い。それを心から実感した夜だった。8年前、となりでまっしろのスクリーンをみていたあの人も、どうか今回のライブに足を運んでいますように。