軽んじられていると感じる「職責」

こんにちは、ももんがです。

某県の公立高等学校教諭を辞して、もうすぐ1年になります。それでもなお、教育界の動向が気になっています。

「教員の仕事」に関して、あまりにも「文部科学省」と「各教育委委員会」の考え方と「現場の教諭」の考え方に差があるのだと思います。
いつからか、「現場の教諭」が行っている「仕事」が教諭の仕事でなく、「自主活動」になってしまったことから、議論や認識がおかしくなってしまっているのだと思います。

これは「学校」というものがなぜ存在があるのかを、あまりにも軽視した考え方をしているからだと思います。

「教員の仕事=授業」ではないのです。「教員の仕事」=「授業+生活指導+・・・」なはずなのです。

昨今の給特法の是非ではなく、そもそも「教育公務員」は「公務員」ですので「全体の奉仕者」であるので、そこに一般の労働者と同じような労働環境にならないのです。もし教育公務員がその他の労働者と同じだというのであれば、「36協定」を結ばなければいけないし、もちろん残業について残業代を支払うのは当然になります。しかしながらその予算を確保することが困難であるため、文科省と教育委員会は現在行われている教員の仕事の内容について「自主活動」という言葉を使って給与の支払い義務がないことを主張しているのだと思います。

「部活動顧問」についても、管理職が「お願い」をして「教員」が自主的に受けているだけという苦しい答えをする管理職がいます。しかしながら「管理職のお願い」は断れないある意味「強制力」があるのが現実です。

実際、わたしは部活動顧問に関して「やらない」と明確に拒否をしましたが、校内人事の部活動顧問のなかにわたしの名前は記載されていました。このことについて講義に校長のところにいくと、「この学校では全員の教員が部活動顧問に就くことになっている」「名前だけだから顧問の仕事はしなくていいい」とも回答がありました。この「顧問を全員就く」というのは職員会議で決定されたことではありません。ですので管理職の判断だと思いますので、顧問を拒否している教員について顧問にしたのであれば「お願い」ではなく「拒否のできない命令」になるのではないかと思います。

そして同じような「拒否ができない命令」を頻繁におこなっているにも関わらず、それに対する対価が低いあるいはないので、現場の教員が今声をあげているのです。

その上で文部科学省と教育委員会が教員の「職責」について軽く考えているから、教員の仕事について「自主的活動」などという言葉を使うのだと思います。そのせいで「職責」をきちんと考えられない教員がでてくるのです。
少なくても教員の「職責」を理解できないから、教員が「未成年に対する猥褻事件」や「公費の横領」などという犯罪をするのです。そしてそれが全国ニュースになっても、そのような犯罪をする教員が減ることがなく、減るような指導を教育委員会ができていないのです。

そもそも事件が起こったとき、教育委員会は記者会見と1つの文書を各学校に配布するだけです。そして指導監督、研修をするようにと通知がありますが、研修をするにしても「予算」は追加で支給されることはなく、休校日にして教員がきちんと考えられる環境にはしないのです。
そういう環境では便場の教員も不祥事対応研修を軽く考えているのです。

教育公務員、教育に携わるものの「職責」について、文部科学省も教育委員会も、そして教員もきちんと考えるべきだと思います。


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