教師に望む最低限のこと
こんばんは、ももんがです。
最近も教員の不祥事、処分のニュースが耐えませんね。また教員採用試験についても報道がされていますが、本質的な改善がおこなわれないようであると、学校の活動ができなくなる、児童生徒に不利益になることが目の前に迫っているような気がします。
採用倍率が1倍ちょっとという自体がいろいろな自治体で起こっているようですが、教員採用試験に合格された方には、教員としての職責をしっかりともってもらいたいです。
そのなかでも最低限持ってもらいたいのは、「人への優しさ、思いやり」です。本来校則や社会に出てからの法律などは人と人がうまく付き合うために存在したはずです。ですので義務教育では「人への優しさ、思いやり」を児童生徒に伝えられる人が教員になって欲しいです。
「怒る」「叱る」時には、児童生徒の行ってしまったことを繰り返さないためにどうしないと行けないかを、きちんと考えさせ、伝えないといけないと思います。そうでなければ、せっかく「怒る」「叱る」というチャンスを無駄にしてしまいます。
失敗は失敗として、成功するにはどうすればいいのかを考えるチャンスにすればいいのです。「失敗してしまった」ことは、「過去」の事柄ですので、それをいかに「未来」に活かすか、失敗を繰り返さないようにするかを考えるチャンスなのです。
失敗したことを次に成功させたなら、いっぱい褒めてほしいですよね。でも今の教師にはそのようなこころの余裕がないようです。「やってあたりまえ」「できて当たり前」。もしそうなら「教員」はなんのためにいるのでしょうか。
教員免許状を取得するためには、いろいろ勉強をしないといけません。教職課程ではない学部学科にいるのであれば、教職課程の科目は追加になります。「教員になりたい」という気持ちがあるから、教職課程で学んだり、教職課程でなくても教職科目を取得していたと思います。
できれば教員になった方にも、その大変さが報われてほしいですし、教員からのいい影響を児童生徒が得られればいいなぁと思います。
児童生徒に害悪を与えていると感じたなら、即刻教員をやめて他の職種についたほうがいいと思います。また実際に害悪を与えてしまった教員は、きちんと罪を償うべきだと思います。
そのためには、きちんと「教員免許状」を失効させるべきだと思います。それは各都道府県教育委員会の最低限の責任のとり方ではないかと思います。
未来ある「先生」と未来ある「児童生徒」が、害悪に苦しまないようにしてもらいたいです。
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