性善説と性悪説について
こんばんは、ももんがです。
よく事件が起きたときに話題に上がるのが@「性善説」と「性悪説」についてです。最近はあまり表に出てきていませんが、教育面では大きな事件が起きるたびに論争の1つとして出てきます。
僕が考えるのに、性善説も性悪説もないと思います。僕は「性無善無悪説」です。つまり悪に染まるのか善に染まるのかは、育成状況に左右され、あくまでもその個人の評価で行動が決まるのだと思います。
だからこそ、児童保護施設というものがありその子どもに有益でない環境から行政が子どもの移動ができるのだと思います。
つまり、子どもは国の財産であるということです。すべての子どもは「愛情」や「親切」について感じる必要があるということです。
ですので、自治体が強制的に保護する施設については「愛情」や「親切」を受ける場でなければいけないのです。ここでいう自治体が強制的に保護する施設とは公立、私立問わず「小中学校」はその場であるべきです。
そして「教育の場」として設置しているならば、選択して選んだとしても高等学校や高等専門学校、大学もそれに準じるできでしょう。
この記事で主張したいのは、その現場にいる人間は「子ども」に対して不利益な行動をするべきではないということ、そして不利益にした大人に対しては厳罰を課すべきだということです。
つまり本質的に「恋愛」でない犯罪行為については、厳罰にすべきです。「金銭」や「成績などの利害関係によるもの」は、一番重い処罰が適用されなければいけないと僕は考えています。それをしないから「子どもに関わる職業についている人間」がすべて信頼を失っているの現状であると思います。