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大学院の研究でミンダナオを訪ねた女性が、MCLで特に印象に残った出来事2つ
【はじめに】
ミンダナオ島。それは、コロナが収束し、私が最初の行き先に選んだ海外である。私は将来、国際協力の仕事に就くために、より専門性を高めなければならないと感じ、大学院に通っていた。その大学院での研究において調査地としていたのがMCLのあるミンダナオ島である。特に、長年断続的に紛争が繰り返されてきたミンダナオ島の教育問題に関心があり、研究のためにミンダナオ、そしてMCLに訪れた。本稿では、私がMCL滞在中に特に印象に残っている出来事を2つ皆さんにお伝えできたらと思う。
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【不甲斐ない自分と他人ファースト】
「今まで私は電車や道端で体調不良である人を見て見ぬふりしていなかっただろうか。」「その場限りかも知れない関係の人とまっすぐに向き合って来ただろうか。」こう思ったのはMCL滞在中に遭遇した出来事がきっかけだった。ある日、私が入浴している時に運悪く一時的に断水したのである。最初は断水ということすら気づかず、とりあえず風呂場でしばし蚊に刺されないように踊っていたが、やはりこれは断水だと気づきシャンプーの泡を流せないままとりあえず服を着て退出した。頭が泡まみれだと言うことを周りの人に伝えると、万が一のために貯めておいた水をくれるとのことだ。しかし断水している状況は皆同じである。さらに、「水」は生活するうえで大変貴重な資源である。調理や風呂に使うだけでなく、フィリピンではトイレに行く時も基本的に紙ではなく水を使うのである。つまりは、自分自身のトイレや風呂を我慢してでもくれた水だ。その時私は計り知れない優しさを感じた。それ以降私は、このようなフィリピンの人々特有と言っても過言では親切さや思いやりのことを『他人ファースト』と呼んでいた。それは単なる「親切」や「思いやり」とはまた別物であると感じたからだ。何が違うか、一言で述べるなら「自分のことよりも、周りの人たちが困っているとそれを優先し、すぐに助けに来る。しかも見返りを求めない。」それ故、「他人」と言うと少し距離感を感じるが自分以外の人という意味で「他人ファースト」と名付けた。実際、その後の滞在期間でもそのような出来事を何度も目にし、フィリピン流の愛?を教えてもらった。帰国して調べたところ、このような「仲間思い」や「協調」をフィリピンでは「パキキサマ」と呼ぶようだ。私は今までは、自分のことに必死で、それを満たしてからでないと、周りの人を本気で心の底から思いやる気持ちを持てていなかったように思う。「こんなちっぽけな自分が国際協力の実務者を目指すことはできるのだろうか」と様々な思いが脳裏をよぎり、胸が詰まる思いだった。このように、MCLでは私に欠けていたものが、たった1週間の滞在期間で次々と気付かされることになった。
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【慌ただしい自分と心の余裕】
フィリピンでは優雅に時が流れる。つまりは、日本のように「時間の浪費」や、「効率化」、「生産性」などを口うるさく語る者はほぼいない。野菜の切り方ひとつでもそれを物語っていた。以前に日本で出合った外国人の友人にこんなことを言われたことがある。「日本以外の国で、何事も時間通りに動く国はあるのだろうか?逆に日本が珍しいと思わないのか?」確かにそう言われてみればそうなのかも知れない。どこか忙しない社会に身を置き、締め切りなど常に何かに追われる毎日を過ごしていた私は何かを失って生きていたような感覚になった。社会的にも、電車や待ち合わせは基本的に「時間通り」。つまりは極力無駄のないような生活をしていたことに気が付いた。しかし、ミンダナオでの生活はその真反対と言っても過言ではなかった。サンタマリアという地を訪れたときは、子どもたちは私たち日本からの訪問者のために足しげくヤシの木に登り、ココナッツを取ってくれたり、夜はギターを弾きながら歌ったり踊ったりと優雅に時が流れていた。そんな優雅な時間に私は手持ち無沙汰を感じ、無性に何か仕事や勉強などをしなければならないような焦燥感に駆られた。しかし、子どもたちのおかげで私も心身ともに安らぐ時間を過ごすことができた。このように書いてしまうと、フィリピンの人々がまるで娯楽だけを追求しているように聞こえてしまうかもしれないが、全くそうではない。夜中には海からたくさんの光がぽつぽつと見え、漁師の人が必死に働いていることを知った。子どもたちも学校からMCLに帰宅すると真面目に宿題や課題をしている。しかし、どこか心に余裕があるように見えた。そんな生活習慣に私はいつの間にか魅了されていた。
このような「他人ファースト」や「心の余裕」はすべて、MCLの子どもたちやスタッフの方と一緒に生活したおかげで感じたことである。文字で読むと一見大したことがないように聞こえてしまうかもしれないが、是非実際に多くの人にこのような体験をしてほしいと思える出来事だった。というのも、日常の中に埋もれていた人間本来が持つ人間らしさ、その素晴らしさ、愛情、そして今まで感じたことのない様々な感情に自分自身が気づかされたからである。東京に住んでいると、どこか人々は忙しなく切羽詰まった様子で、一息ついて自分のことや世界のこと、将来のことをゆっくり考える時間があまり持てていないように思う。そんな環境で生活していた私には大変刺激的な出来事であった。
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【帰りたくない。】
そう気付いたのは、別れる瞬間だった。このような感情になったのは初めてだった。少し私自身のことを前置きすると、私は中学生の頃から海外に興味があり、かれこれ約20〜30カ国程度の国を旅してきた。しかし、どこに行ってもやはり日本に帰りたくなる。そんな自分の気持ちに気づき、大学時代は国際的な学部に所属していながらもなんだかんだ生きやすい日本を好む私は、国際的な仕事は合っていないんじゃないかと薄々感じていた。しかし、日本が1番居心地が良いからと言って、それがベストな環境だとも思っていなかった。それ以来、私は自分自身がフィットする国や地域、居場所を知らずと探し続けていた。そんな思いでミンダナオに来ていた私は、まずは研究の調査を全うすることに必死だった。しかし、前述したようにMCLの人々との関わりから心の余裕もでき、子どもたちと話したり遊んだりする時間もあった。充実した時間は一瞬で過ぎ去り、あっという間に最終日になった。夜に送迎会をしてもらい、翌朝ダバオまで送ってもらうために車に乗り込もうとした。その時である。別れを惜しむものの妙に淡々としていた私は、滞在中に一番仲良くしてくれた子どもに「寂しくないの?私は寂しいよ。」と言われ、何度も力強いハグをされた。その時に私は「ハッ」とさせられた。昔から人との出会いは大切にしてきたが、年を重ねるたびに、別れるときに辛くならないように人と深く関わることを恐れていたのである。それが妙に私が淡々としている理由だった。しかし、MCLの子どもたちはたった1週間しか滞在する予定のない私にも深く関わりをもとうとしてくれていたことに気が付いたのである。情けない。しかし、急に性格が変わることもなく笑顔でお別れをした。
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【愛は言葉の壁を超える】
ダバオまでは、6、7人の子どもたちとスタッフの方が送ってくださりMCLダバオ事務所で一泊した。その日の夜は、滞在中に子どもたちがよく歌っていた宇多田ヒカルさんの「First Love」の歌詞、「明日の今頃には 私はきっと泣いている あなたを思ってるんだろう」というフレーズが頭から離れなかった。翌日の昼頃には子どもたちとスタッフの皆さんがキダパワンのMCLに帰る準備をしていた。車に荷物を積み込み、お別れの時が近づいていることを物語った。MCLの代表であるエイプリルさんと目が合った瞬間だ。胸から押し上げる大粒の雫が続々と目から頬を流れ落ちた。エイプリルさんや子どもたちは瞬時に私の涙する姿に気づき、ティッシュを渡してくれたり、ハグをしてくれた。まるで幼い子のように泣きじゃくったのは久しぶりだった。何かから解放されるような感覚でもあった。なぜこんなにも泣いてしまったのかよく考えてみたが、単純に何よりも彼らとお別れすることが悲しかったからだ。なぜなら、子どもたちだけでなく、スタッフの皆が、いつ何時も私のことを大切に思ってくれていたからである。たった1週間しか共に時間を過ごすことができない者に無限大且つ無償の愛を持って毎日接してくれていた。とても言葉では表現することが難しいくらい嬉しかった。私はフィリピン語は全く話せず、言葉は100パーセント通じていなかったことに違いはない。しかし、それ以上に心の通ったコミュニケーションを常に感じていた。言葉の壁を何度も超えさせてくれたのは、MCLの皆さんの愛のおかげであった。
このように私のMCLでの生活は幕を閉じた。日本と比べると、もちろん不便もあるけれど、それ以上の何かがこの地にはあるように感じた。それがミンダナオであり、MCLである。このような「帰りたくない」という感覚・感情は初めてだった。約1週間だけの滞在で何を分かったつもりでいるんだと言われるかもしれない。しかし、このような気持ちにさせてくれたのはMCLの子どもたちである。さらに、後ろ髪を引いたのは子どもだけではない。大人もだ。彼らはいつ何時も優しかった。長きにわたって紛争を繰り返していた地域とは思えなかった。
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【心いっぱいの感謝】
最後に、MCLでの体験は、これから国際協力のフィールドで実務者として携わっていく上で、必要なことを学ぶ機会となったことに心から感謝したい。特に、現地での体験は、国際協力のあり方、平和、そして専門分野である教育そのものを改めて考える機会になり、今後のモチベーションにつながる貴重な経験となった。調査地のみならず、水上スラムや山岳地帯など多くの景色を見せてくれた友さんをはじめ、スタッフ皆さんのご配慮には感謝の念に尽きない。何よりも涙が出るくらい帰りたくないと思える人や場所に出会えた「奇跡」に感謝している。今後はMCLでの経験を踏まえて、世界の子どもたちや人々と「他人ファースト」のマインドを持って繋がっていきたい。
2023年8月19日
且田 真理
(掲載の許可をいただいています)
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現地スタッフの宮木梓です。昨年4月にMCLを訪問して下さったまりさんの訪問記です。現在は、国際NGOで活躍しているまりさん。また、お会いできるのを楽しみにしています!