目的のないSNSは大空に矢を放つようなもの
オンライン活用相談を始めて、いろんな人のいろんなやりたいこと、行き詰ってること、などを聞かせてもらっている。
オンラインを使って、何をやるか、どうやるか、どんなツールが使えるか、そのために何が必要か。
今回のプランは、私のパーソナル演出の一部で緊急お助けプランとして作ったので、1時間のみ。提案だけするか、ツールの具体的な使い方の説明か、どちらかで終わってしまう。
とは言え、その1時間で相談者の顔が晴れ、先が見えて、やる気になってくれるのはうれしいし、きっと役には立ってると思う。
だけれど、私の中で
「あんまり簡単に喜んでもらっても不安、根本的なところには気づいてくれてる?」
と言う気持ちが常にあるのだ。
そこで、1時間では語れていない部分を、相談してくれた人に伝えられたらと思い、まとまらないけれど書き出していくことにした。
公の場で何を発信しているか
相談を受けながら感じるのは、相変わらずSNSの投稿はお客さんを集めるもの、と思ってる人が多いと言うこと。
もちろん、そういう一面もある。
でも、結果として集まるのであって、いまや何か技術的なものでなりたつわけじゃない。
今まで見るだけで一つも投稿してこなかった人が、いきなり「〇〇始めました!」と言っても、誰のタイムラインにも上がらないかも知れない。そういう仕組みなのだ。
とは言いつつ、Facebookは知ってる人同士のつながりも多いため、リアクションが得られやすく、お客さんにもなってくれる場合が多い。
それでも告知とか、ていのいい話ばかりの投稿ばかりだと、正直どうでもよくなる。
Facebookでは身内や知ってる人だけが面白い、と言う内容の投稿ばかりになりやすいから、ある意味濃くなりすぎる。
これが「Facebookは疲れる」という原因になるのだろうが、これはこれで知り合い同士でつながってるFacebook故の特徴なのだ。
「みんな私を知っている、私もみんなを知っている」
無意識化にある、そういう感覚で投稿している。
もちろん、それが悪いわけではない。SNSにおいて、どんなことを投稿するか使い方は自由なので、自分の楽しみや、その共有のためにツールを使うのは問題ない。
ただ、もし会社や組織に属さず、個人で事業や仕事をしているのならば、すべてがそれでいいのか、と思う。
身内のつながりとは言え、インターネット上は「公(おおやけ)」の場。
「公」を意識したモノの書き方が出来ないと、いろいろ損をしていると思わざるを得ない。
オンライン上の人間関係はオフラインと別に作る
実際はオープンなのに周りを知り合いばかりでかこまれたFacebookのような世界にいると、Twitterのような不特定多数の人がいる場が怖いという人が多い。
その理由を、私はこう考えている。
最初から知ってる人の間でフィールドができているFacebookにたいして、Twitterは大海原に1人で立たされるようなものだから。
つまり、一からオンラインで他者との関係性を築かなければ何も生まれず、発展しないツールだからだ。
そして多くの人は、この経験に慣れていない気がする。今まで、オフラインの延長上でオンラインを使ってきた人が多いから。
でも、オンラインの使い方を見直すべき今、オフラインの延長上(Facebookも含め)で考えていてはいけない。
リアルはリアルで、オンラインではオンラインで、どちらの関係性も持てばいいし、その方が世界が広がるはず。
Facebook以外でSNSを始める人は、初めて小学校に入ったときの気持ちを思い出してほしい。
知ってる人もいるけれど、ほとんどが知らない人の中で、自分の気の合いそうな人を見つけて(フォローして)、話しかけ(コメントして)、向こうからも話しかけてもらえるようになって(リプされて)、ちょっとずつ仲良くなっていく、あの感じ。
大人になると新しい友だちや、人間関係を作ることってリアルでは少なくなる人も多いだろうけれど、SNS上ならあなたが動けば、いつでもどこでも性別も年齢も関係のない人間関係が作れるのである。
それをドキドキしながら楽しみ、自分の場所を自分で作っていくのがSNSの良さなんじゃないかと思う。
最初から上手くいかなくて当然
私はネットでのやりとりは昔からやってきたけれど、何度か使い方の転機があった。
まず、10年前に個人事業主になった時。
それまでクローズドでやってきた自分の愚痴や日常を書き出すだけの使い方からシフトした。
だが最初は、アーユルヴェーダについてのブログが全然書けなかったり(間違ったこと書いたらどうしよう、突っ込まれたら恥ずかしいなどの気持ちから)、TwitterはただブログやFacebookページと連動させて、更新をお知らせするだけにしか使えてなかった。
だから、使い方の講座や勉強会にもいろいろ参加して、いろんな手法を学んだ。
でもやっぱり「フォロワーの数を増やすために、いいねを毎日100個つける」とか「コメント100個する」とかには、当時から抵抗があったし、そうやって友だちを増やした人のタイムラインに「おはようおじさん・おばさん」が書き込んでるのを見ると鳥肌が立つほど嫌悪感が走るので、そういう手法じゃないやり方をずっと模索しながらやってきた。
サロンの宣伝のために有料、無料のポータルサイトを使ってみたり、ネットの予約サービスを利用してみたり、決済サービス、ECサービス…
あらゆる方法を試して、使ってみて、でもたいして上手くいかなかった。
残念ながら。
たぶん、あの頃は「SNSでお客さんを集めるには」「自分を知ってもらうには」「施術の良さを分かってもらうには」なんて視点だけで考えていたからだと思う。
出会った相手に段取りを踏まずに、いきなり「結婚してください」ってプロポーズばかりをしていた感じ。
お客さんよりフィールドを持とう
たいした成果も得られなかった私は、3年ほど前にキングコング西野さんの本に出会って考え方を変えた。SNSですぐ何かを売りつけるようなやり方を改めなければと思った。
そこで、当時始めたアーユルヴェーダサロンのFacebookページを育てる、と言うことを目的に、ライブ配信をやり始めた。
お金にはならないが、私は興味ある人と一対一で話ができるというだけで満足だし、配信を見てくれる人がいれば、私やゲストについて知ってもらえる。
そして、たとえ通りすがりでも「アーユルヴェーダ」をいうフレーズを見てもらえるよう、自分の肩書を「アーユルヴェーダ活動家」とし、常にテロップで表示するようにした。
実は常々、アーユルヴェーダを広めるにはアーユルヴェーダに関係ない業界の人たちとつながっていくことが重要だと考えていたので、これは地道な認知を広げる手段としていいのではないかと考えたのである。
当時、Facebookにライブ配信機能が備わったばかりで、配信の投稿はタイムラインに上がりやすかったため、普通の投稿ではタイムラインに上がりずらいFacebookページの投稿も、ライブ配信なら見られやすいはず、という狙いもあった。
この配信は、内容的にはアーユルヴェーダに一つも関係なかったが、様々な業種の人がゲストに来てくれて、結果、狙い通りアーユルヴェーダの世界以外にもちゃんとつながりが作れたので、ステップとして大成功だったと思う。
アーユルヴェーダを売らない日々
そして2年前に、Twitterを再開。使い方を見直して、一気に人間関係が広がった。
当時、リストラでサロンも職も失って、アーユルヴェーダの施術をすることは大事な収入源だったけれど、SNSでそのお客さんを集めることはやはり難しかった。
実際、〇日にどこどこで施術します!と言っても、リアルで来れることに絞ると対象は限定的になる。この辺から、私は「告知投稿=集客」には、ほぼならないと認めるようになったのだ。
では、何のために施術の告知を投稿しているか。
それは、直接的に集客につなげるというよりも、私がアーユルヴェーダをやっている人だ、と言うアピール、認知のため。一種のブランディング。
そう割り切ると、いろんなことがスッキリしてきた。
アーユルヴェーダを無理に売らなくていい、アーユルヴェーダをやってる人だと覚えてもらおう、知ってもらおう、それをひたすら続けてきたように思う。
さあ、アーユルヴェーダの話をしよう
そしてようやく、昨年秋ぐらいから本格的にアーユルヴェーダの発信を始めた。
私としては、アーユルヴェーダをやっている人イメージがある程度、周囲には認知されたと思うので、機は熟したと考えたのだ。
それは言うなれば、「スミヨシのアーユルヴェーダの話なら聞いてもいいかな」と思ってくれる人が多少なりともいる、と言う手ごたえを感じられるようになったと言うことである。
そこで、当時みんなが始めたRadiotalkで、あえて専門的なアーユルヴェーダの話を始めてみた。
でも、アーユルヴェーダの言葉も知らない人や興味がない人が離れないよう、タイトルやテーマにアーユルヴェーダという文言を主張しない形で始めた。
これもまた聞いてくれる人が思ったより多く、興味を持っていた友人たちからの感想をもらったりして、さらに手ごたえを感じられたのである。
※ちょっと今、更新停止中だけれど、かじ取りを決めて再開したいところ。
アーユルヴェーダをエンタメに!
ここまできて、ようやくアーユルヴェーダと言う言葉を出して発信する覚悟が出来た。
アーユルヴェーダと言う言葉がむずかしく一般的でないので、ずっと使わずにアーユルヴェーダを表現することに尽力してきたけれど、それを頑張ってきた結果、アーユルヴェーダおもしろい!と思ってくれる人を増やすことに成功したと言える。
これは、うれしい。
今こそ、その人たちに向けて、より濃い話をしよう!!
そうして始めたのが、ライブ配信番組「生き方向上委員会」なのだ。
昨年6月からやってきた、私が働いている大阪平野区の入船温泉2階からお届けしている「おSENTOロックショウ」のシーズン2である。
私は、この活動に「アーユルヴェーダをエンタメに」と言うキャッチフレーズをつけた。
アーユルヴェーダを知らなくても興味が持てるように構成して、なるべく専門用語を使わず、かみくだいた表現を用いている。(カウンセリングなどでやってきた習慣のおかげ)
そして視聴者の数はともかく、今まで自分が育ててきたフィールドで、私の話を聞いてみたいと思ってくれる人が聞いてくれている。そして、濃い感想を寄せてくれる。
本当にうれしい。
アーユルヴェーダゼロの人に、アーユルヴェーダの面白さが伝わっている充実感は言い表せない。
自分の発信は何のためか?を改めて考えよう
長い長い事例の説明になったけれど、要は、私も長い迷路の末にようやく自分の発信が定まってきたと言うことだ。
まとめると
・発信は集客や販売目的にすべきでない
・「公」の場で表現していることを意識する
・関係性を作って育てる楽しみを味わう
・自分の発信を受け入れてくれる場を持つ
そんなところだろうか。
ただ忘れないで欲しいのが、発信の手ごたえがあるからと言って、アーユルヴェーダの施術やカウンセリングがバンバン売れているわけではないのである。笑
つまり、今のところオンラインでの活動は、売るための直接的なアプローチにはなっていない。
でも、今の私はこれが損だとは思わないのだ。
よく分からないけれど、今までも地道にコツコツやり続けてきて、すべては積み重ねとなって形になってきている。
そして、私はアーユルヴェーダを売りたいのではなく、知って欲しい、広めたいんだ、という自分の欲望に改めて気づいた。
そのために3年もの間、試行錯誤してきて、今ようやく少しだけ、陽の目を見始めたところなのである。
改めて考えて、この執念に自分でもびっくりしてしまった。笑
だから、ここからどうやってマネタイズにつなげていけるかは、また自分の工夫次第だと思う。
また試行錯誤の日々が続くだろう。
「目的のないSNSは大空に矢を放つようなもの」
ここで、今回の表題を思い出してほしい。
オンラインを使っていくということは、自分対世界になると言うこと。
私もずっとそう思ってきた。
だからこそ「公」の感覚が必要と。
でも、最初から世界を相手に戦えるのは、ほんのわずかな人たちだと気づいた。
矢を射るところから多くの人に見られている、ネット上の巨人たちと自分を一緒にしてはいけない。
ごく普通の私たちは、人知れず、ただ闇雲に矢を射っても、それを誰も見てないし、何にも当たらないのである。
山頂でやっほーと言って、自分でそのやまびこを聞いて、満足してるのと同じこと。
だから、まず自分のフィールドを狭める必要がある。
自分のことを見てくれる人、自分の話に耳を傾けてくれる人、そういう人をもとう。そういう場を作ろう。いわば、自分のホームのようなもの。
ただ、いつもその先に「世界」があることは意識する。
「世界」とはいきなり戦えなくても、「世界」があることを知り、意識していなかったら成長はない。
だが、「世界」の手前に自分のホームフィールドがあると仲間の応援が得られ、心強くなり、結果、フィールドの外へのアプローチも上手になれる。私は自分でやってきて、そう確信している。
何の意識も持たず、考えず、自分の感じたこと、思ったこと、告知だけ、などの発信を否定する気はないし、私も見たところで気にはしない。
でも、そういう人の発信で何かが動くことはない。一過性の楽しみ面白さはあっても、誰かの心を動かしたり、場を育てるものではないと思う。
Facebookだけにいると鈍る「公」の感覚、
Twitterで学べる仲間意識と「公」のバランス感覚、
それを意識して、オンラインをオフラインの延長でなく、新しい人間関係を作る場へ引き上げていくこと。
思ってるより大変で、時間がかかることだと感じたかも知れない。
私はそれを覚悟しろ、と言うのではなく、たとえすぐ上手くいかなくてもやり続ける意志を失わないで欲しい、と思うのだ。
これが、私のオンライン活用相談を受けてくれた人に、そして、これからオンライン活動を始めるすべての人に、みんなに伝えておきたいこと。
時間はかかるけど、あきらめずにがんばろうね。
感謝を込めておすすめ
私にこうした気づきを与えてくれた西野亮廣さんのオンラインサロン、
自分でも試行錯誤しながらSNSの在り方を教えてくれる、わいざんのオンラインサロン、
どちらも学びたい人、コミュニティを体験したい人にはおすすめです。