20220214
「時間がいびつなかたちをとって進み得ることを天吾は知っている。時間そのものは均一な成り立ちのものであるわけだがそれはいったん消費されるといびつなものに変わってしまう。ある時間はひどく重くて長くある時間は軽くて短い。そしてときとして前後が入れ替わったりひどいときにはまったく消滅してしまったりもする。ないはずのものが付け加えられたりもする。人はたぶん時間をそのように勝手に調整することによって自らの存在意義を調整しているのだろう。別の言い方をすればそのような作業を加えることによってかろうじて正気を保っていられるのだ。もし自分がくぐり抜けてきた時間を順序通りにそのまま均一に受け入れなくてはならないとしたら人の神経はとてもそれに耐えられないに違いない。そんな人生はおそらく拷問に等しいものであるだろう。」(『1Q84』、天吾)
「人生とは単に一連の理不尽な、ある場合には粗雑きわまりない成り行きの帰結に過ぎないのかもしれない。」(『1Q84』、天吾)