昔書いた小言を投稿しようと思う①

他人の評価ってどのくらい気にする?

自分はわりと流されやすい・影響されやすいタイプで、たとえば自分が大好きな映画があったとき、それについて「この映画は◯◯が✕✕で駄作だ」みたいなことを言っている評価を見ると、頭の中では「んなもん知るか。これはいい映画だ。俺は好きだ」と思いたいと思う一方、その評価の理屈がちゃんと通っていて分かってしまう場合には「あーたしかにそうか」と納得して、その映画の評価を下げてしまうことがある。

それが絶対に悪いことだとは思わなくて、ちゃんと理解して納得できるのであれば「真の評価」(というものが存在するかどうかは分からないけど)に近づいたと言えなくもないかもしれない。

けど自分の中での幸福度は下がっているようにも思える。
よく言う話で、高級料理しかおいしいと思えない人よりも、1食何十円のごはんをおいしいと思えたほうが幸せ、みたいなあれと同じ。
(同じか?)

そんな感じで自分は他人の評価にわりとまあ影響を受けるタイプで、そういう人は他にもいるんじゃないかなと思う。
だから自分が何かに対してネガティブな評価をしてそれを発信することは、もしかしたらそれを見る誰かの幸福度を奪っているのかもしれないと思うことがある。(考えすぎと言われたらそうかもしれない)

話を戻して

今から書くのはスプラトゥーン3発売当初~1年くらいのときに書いていたメモ・愚痴的なもので、なんとなく発掘したのでそれをいくつか投稿しようと思う。

上記のような理由もありつつ、一応スプラアカウント・サーモンランアカウント的な感じでスプラを楽しんでいる人が多く見ているであろうところにネガティブな評価を流すことを少し避けているところがあった。
(単純に悪いところを言ってるのはなんか印象も悪いし)

けどスプラ3もそろそろ発売から2年が経とうとしているし、自分の中でも変化があって「いやでも悪い点を悪いと指摘することは、その作品のためにもなろう」という感じで、最近は普通にTwitterでもちょこちょこ小言をツイートしていることがある。

「いや俺もそれ思ってたんよ」と共感してくれてもうれしいし、「その考え方は違う。こういう点が大事だ」と教えてくれるのも助かる。


「クマサン商会だから」

サーモンランにある不遇とか不充分に感じられる点を「だってクマサン商会だから」的な感じで消化したくない、させたくない、されたくない、と思うところはある

・試射場が狭い/バルーンの種類が少ない
⇒クマサン商会だしお金ないんでしょ
(世界観の設定としては理解できるが、イカッチャの試し撃ちよりも狭いのはありえないと思う)

・サーモンランにプレイヤー間の競争はそぐわない
⇒クマサン商会的には金イクラをたくさん集めさせるためには合理的でしょ
(世界観に毒されすぎている。あくまで世界観はゲームを楽しくさせるためのフレーバーであって、それが本筋ではない)

・バイトチームコンテストのSNS表彰がしょぼい
⇒クマサン商会の会社内のイベントだし、あれくらいでしょ
(対人戦の表彰との落差が大きすぎる。最初にSNS表彰の存在を知らされたとき誰もが想像したあの集合写真が望ましい)

みたいなやつ


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