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縁無き父祖を詣でに

神奈川県川崎市、JR南武線は津田山駅で下車し、緩やかな坂を少しばかり上ると、爽やかで力強い新緑の香りと共に、静謐な空間が現れた。
緑ヶ丘霊園である。

父方のお墓参りでの訪いである。
然るに私は父という人を知らぬ。
ものごころつく前に父母は離婚しており、私は母と共に母方の祖母宅で育った。
なんでも結婚後の母に対する父方縁者からの扱いが、母方縁者からすると我慢ならぬものであったらしい。
遠く母方の故郷から乗っこんできた縁者もいたそうで、それはもうスッタモンダしたとのこと。
かくして私は生まれて間もなく、父方との縁が切れたのだった。

父がいないということに別段寂しさを感じたこともないし、特別会いたいと思ったこともない。
幸いなことに祖母宅は経済的に比較的豊かで、母は勤勉勤労を絵にかいたような人であるから(還暦を過ぎた今も経理畑の一線にいる。スゲェ)、何に不自由したという覚えもない。
そんなこんなで、今日まで父にも父方の人々にも、殆ど関心を持たずに暮らしてきた。

しかし母としては、いつか私を父方のお墓に参らせねばならぬ、と考えていたらしい。
「縁が無くなったとしても、身体の半分は父親から貰ったのだから、そのご先祖を敬うことこれ当然である。親元を離れ、まがりなりにもいっぱしの社会人となれたのだから、お礼くらいは言いに行かねばならない」
という理屈である。
良妻であったかは知る由もないが、けだし賢母の見識であると思うのは、子の欲目であろうか。

と、言うことで父方のお墓のある、緑ヶ丘霊園にやってきたのである。
広い、とにかく広い。
来園した当日は爽やかな晴天に恵まれ、そのためか、散歩やジョギング、サイクリングなどに興じる方が目立った。
地域の人々の憩いの場所としても機能しているようだ。

区画ごとに整然と配置がなされている。草木が非常に豊かなところである。

ほどなく、目的の墓石の前に立つことが叶った。
傍らにある墓歴によると、父の祖父にあたる方からがお眠りになっておられるようだ。
それぞれの方の生前のお名前があった。
男性の名前に共通する一字を見つけた。
思えば父の名前にもその字が入っている。加うるに私の名前にも。
特段の感慨はない。
しかし脈々たる己のルーツを垣間見れたことは幸福であったと思う。
何を申し上げて良いのか迷ったが、ただ「ありがとうございます」と言うにとどめた。

お供えのビールをご相伴しながら、改めて霊園を見回す。
新緑の季節では、むせかえるような草木のエネルギーを感じる。
ふとそれぞれの季節における、霊園の姿が見てみたいと思った。
十分再訪の理由になるだろう。

振り返ると、母が墓石に向かい正座していた。
母の唱える丁寧な般若心経の声に、私は再び合掌した。

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