メッセージ要約 2023.12.3 「ナルドの香油 主の愛に感動して」
マルコ14章1−9 「「主の愛に感動して」」ナルドの香油
有名な絵本作家の五味太郎さんが自身の作品がある学校の入試問題になったので、試しに解いたら68点だったという話があります。試験を作った人がゴミさんの物語から作者の意図と違うメッセージを引き出していたわけです
今日の箇所は、イエス様が十字架の計画を話された時、イエス様の意図通り受け取った人と受け取れなかった人が出てきます。この箇所はイエス様の十字架が近づいてきている場面です。この時は過ぎ越しの祭りの2日前でした。
過ぎ越しの祭りは、エジプトからの脱出を記念する祭りで、神の子羊であるイエス様が十字架で血を流し全人類の罪の贖いを完成することを予表していました。
マタイ26:2「あなた方も知っている通り、2日たつと過越の祭りになります。そして「人の子は十字架につけられるために引き渡されます」
イエス様は、この祭りの時に十字架につけられることを弟子たちに4回目の予告をします。
しかし、弟子たちはイエス様の言葉を理解できませんでした。一方、イエス様の十字架の計画を理解したある女性がいました。それは、マリアでした。マリアは、高価な香油をイエス様の頭に注いで、埋葬の準備をしました。彼女は、イエス様がこの世の人々の罪のために死ぬこと、そして復活することを信じていたのです。彼女は、イエス様の愛に感動して、惜しげもなく香油を捧げたのです。今日はこの女性の姿から「主の愛に感動して」という題で2つのポイントで見たいと思います。
1 イエスを正しく理解する
イエス様はここでベタニヤのツァラートに犯されたシモンの家にいたとあります。ここで歴史的な出来事が起こります。
3節「ある女の人が、純粋で非常に高価なナルド油の入った小さな壺を持って来て、その壺を割り、イエスの頭に注いだ」。
この女の人とは誰か。ヨハネ12章の並行記事を見ると、この時のシモンの家にはイエス様と12弟子の他、ベタニアに住むマリア、マルタラザロの3兄弟がいたとあります。
シモンと3兄弟はご近所で共にイエスを信じるもの同士で親しかったのだと思います。
この時イエス様に香油を注いだのはマリアでした。
このナルドの香油はヒマラヤ地方の特産で当時の最高級の香料でした。300グラムで三百デナリもしました(現在の感覚で300万円くらいの価値)。当時の女性たちの嫁入り道具の一つ。
しかしここでマリアは惜しげも無く全てをイエスに注いだのです。
この時マリアがイエスに香油を注いだ意味はなんだったでしょうか??
イエス様は言っています。8節 彼女は、自分にできることをしたのです。埋葬に備えて、わたしのからだに、前もって香油を塗ってくれました。
埋葬の準備をした。つまりマリアはイエス様の十字架の計画を理解していたということです。
しかしそのマリアと対照的に十字架の計画を理解していなかった人がいます。
それが弟子たちです。弟子の反応にそのことが表れています。
弟子たちは、マリアの行為を無駄だと責めました。彼らは、香油を売って貧しい人たちに施すべきだと言いました。弟子たちはイエス様の十字架のメッセージを理解でき無かった為、マリアの行為が埋葬の準備のために捧げたことがわからなかったのです。
なぜ弟子たちは十字架の計画がわからなかったのでしょうか?
マリアより聞いた回数は多かったはずです。
理由は弟子たちがイエス様を政治的メシアとして見ていたからです。ローマの圧政から武力で自分たちイスラエルを救い出して下さる人物であるというイメージがあったのです。彼らは、イエス様が死ぬことはありえないと思っていたのです。
人は時に間違ったイエス様像を持ってしまうことがあります。
それぞれにとって都合の良いイエス像 イエス様はこういう方であるべきだというイメージです。
この時の弟子たちも間違ったメシア像が十字架を理解する妨げとなりました。それがその後イエス様を裏切ることへと繋がってしまうのです。
ではマリアはなぜ十字架の計画を理解できたか?
ルカの10章を見ると、イエスがマルタとマリアの家を訪ねたとき、マルタが台所で忙しく働いている時マリアはイエスの足元に座りイエスの話に耳を傾けていました。
イエスは御言葉を聞くことを何より優先するマリアの姿勢を称賛されました。
彼女は勝手な先入観を持たず、素直に御言葉を聞いた。だからこそマリアはイエス様がどのような方かどのような計画をお持ちかその全体像を知ることができた。正しいメシア像を持つことができたのです。皆さんのイエス様像はどうでしょうか?
私たちがイエス様を正しく知る方法はなんでしょう。マリアのように純粋な思いを持って御言葉に向かうことです。そして聖書全体のメッセージを通して理解することです。デイリーマナ一日一章 ディボーションの大きな目的は神様イエス様とはどのような方であるかを知るためです。
デイリーマナぜひお用いください。
2.捧げる動機
イエス様は、貧しい人たちはいつでも助けられるが、イエス様はいつも一緒にいるわけではないと言いました。イエス様は、マリアが自分にできることをしたと言いました。
マリアはなぜこのような大きな犠牲を喜んで払うことができたのでしょうか
マリアが捧げた動機はイエスの愛に感動したからです。
マリアはイエスがこの世の人々の罪の身代わりとなって死ぬためにこの世に来られたことを理解し、この過越の祭りでその時が来ることを理解していたのです。
そして彼女は十字架の死だけではなく復活まで信じていたと思われます。
イエス様は聖書の中で十字架の予告をされる時、復活まで伝えているからです。
彼女はそれを聞きそこまで理解していたと考えられます。
そしてマリアはそのイエスの愛に応えるために、高価な香油を埋葬の用意として注いだのです
半分残しておこう、マリアにはそんな気持ちは微塵もありませんでした。
マリアの心はイエスの愛に対する感動でいっぱいだったからです。
ですから周りの人がなんと言おうとも少しも惜しいとは思いませんでした。
イエスの愛に感動して。それがイエスに従うもののあらゆる行動の原点なのです。
喜びが原動力となる働きは大きな影響力を持って周りに広がっていきます。
クリスチャンたちは歴史的にも現代においても、社会の様々な分野で貢献してきました。その動機はイエス様の愛に対する感謝と喜びでした。もし感謝と喜びが原動力でなかったなら、このように世界に大きな影響を与えることはできなかったと思います。
キリスト教信仰が大きな影響を世界に与え続けている理由
それは救いの喜びが原動力になったからです。
私たちもマリアのように神の愛を覚えて自分の香油の壺を割ってイエスのために捧げたいと思います。私たちにとってのなるどの香油とはなんでしょうか?
与えられている能力、時間、財産です。
私たちはイエス様のためにこれらのものを喜んで捧げていきましょう。
そして私たちはイエス様のためにそれらを捧げる動機はどこにあるのか時々立ち止まりチエックする必要があります。乾くことのない水脈。それがイエス様の愛に根ざすということです。
(T.N)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?