メッセージ要約2023.7.2 「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返す」

○マルコ12章13~17節

JAXAが日本の宇宙飛行士を募集し応募者4127名の中から2名の候補者が決定しました。宇宙飛行士になるための選抜試験は非常に狭き門として知られており、1年という期間をかけて何度もテストを受けその適性を吟味されました。

今日の箇所では、イエス様もそのような状況の中にありました。

イエス様の公生涯最後の1週間、エルサレム入城から十字架に至る歩みは過越の祭りと重なっています。全人類の罪を背負う神の子羊としてふさわしいのか吟味される期間でもあったのです。


1. カエサルのものはカエサルに

パリサイ人とヘロデ党の人々は普段は敵対関係にありましたが、イエスという共通の敵を前にして手を組んで、論争を仕掛けてきました。

「ところで、カエサルに税金を納めることは、律法にかなっているでしょうか、いないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めるべきでないでしょうか。」

この質問はイエス様がどちらに答えても窮地に追い込めるものでした。

イエス様がもし、ローマに税金は収めなくても良いといえば直ちにローマへの反逆者として訴えることができます。

逆にイエス様がローマに税金を納めなさいといえば、ローマの支配をよく思っていない多くの群衆がイエス様に反発することになるからです。人々の評判を落としたいパリサイ人の狙い通りの結果になるわけです。

どちらに答えてもイエス様に不利になる質問です

これに対しイエス様はどう答えられたのでしょうか。

「なぜわたしを試すのですか。デナリ銀貨を持って来て見せなさい。」

デナリ銀貨とはローマの貨幣でした。イエス様はその銀貨を持って来させます。

そして 彼らが持って来ると、イエスは言われた。「これは、だれの肖像と銘ですか。」そしてイエス様はそのローマ皇帝の肖像と銘を書かれたデナリを掲げ言います。

「カエサルのものはカエサルに」

これは納税しなさいということです。社会機能の一環として市民としての役割を果たしなさいということです。

私たちの社会は多くの問題を抱えています。しかし色々な人たちの支えによって生活が成り立っていることへの感謝を忘れてはならないと思います。

そしてその生活を支えてくれている人たちの背後には神の権威があり、その人達の背後にも神の御手が働いていることを意識するものでありましょう。

その中でカエサルの物はカエサルに、社会の中で市民としての義務を負っていくことはとても大切なことだと思います。


2. 神のものは神に返す

イエス様は言います。「神のものは神に返しなさい。」

ここで問題になるのは「神のものとは何か?」ということです。

先ほどカエサルの肖像が入っているものがカエサルのものであるという話をしました。肖像とはイメージです。カエサルのイメージが入っているものはカエサルのものであるということです。つまり神のイメージが入っているものが神のものということです。では神のイメージが入っているものは何か?それは私たち自身です。ローマの貨幣にはローマ皇帝の顔が刻まれていたように私たち自身には神の形が刻まれています。

創世記1:27「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された」

つまり人は神のイメージとして作られ。一人一人には「これは私のものである」という目に見えない刻印が押されているのです。

「神のものを神に返す」とは私たちが神様に立ち返り、神様の栄光を表す人生を歩むということです。そして私たちが神の栄光のために与えられた賜物を用いる時に、私たちの賜物は最も輝くのです。

人気ミュージカル俳優でクリスチャンの井上芳雄さんという方の証しです。

「正直に自分の歩みを振り返ると、自分にとっての仕事は、キャリアやお金、自己実現といった自身の欲を満たすものでした。しかし、韓国のクリスチャンの女優 J KIMさんと出会い、自分の仕事と神様からの使命というものを結びつけて考えるべきだと気づいたのです。この先も自分や家族のためだけに仕事をしていくならそのうち息詰まってしまうのではないか、苦しくなっていくのではないかと思うようになりました」井上さんはいつも本番前祈っていました。今はその祈りの中に「この仕事を神様に捧げられるように」という祈りが加わるようになったそうです。「クリスチャンである自分を見て神様に興味を持ってくれる人が現れることを神様も喜んでくださると思っています。」

井上さんは神のものを神にかえす。とあるように神様に立ち返り、神様の栄光を表すために人生を歩んでいます。これからますます用いられていくことを願っています。

私たちも自分自身が誰のものであるのか?その問いに対し命を与えてくださった神様に立ち返りその栄光を表すために歩むものでありましょう。(M.N)

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