
メッセージ要約 2024.6.30 「幸せにするために」
〇申命記8章11~18節
経済的に豊かになることが幸せといえるのだろうか。
聖書は、物質的、経済的に豊かになることは問題ないけれど、そのことに執着して、心が神様から離れてしまったり、隣人への思いやりを失ってしまったりすることはいけないと警告している。神様は、私達が、与えられたもので満足すること、それを喜ぶことを望んでおられる。
今日の聖書箇所は、約束の地を前にしたモーセの説教である。イスラエルの民が、約束の地に入り、豊かになって、心が高ぶり、主を忘れることがないように警告している。また、荒野の40年間の苦難の最終的な目的は、人々を幸せにするためだったと言っている。私達は、苦しみの只中にいると、神様に不平や不満を言いがちである。しかし、「神様は私達が幸せであることを喜び、そのために様々なことを計画しておられる」ということを信じることが、私達が幸せになる第1の条件である
1.「幸せ」になるために
捕囚の憂き目に遭って失望しているイスラエルの民に、神様は、エレミヤをとおして「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている―主のことば―。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」と伝えている。現状からは、とても信じられないことであるが、神様は、私達が苦しいと思っている状況の中でも、あいかわらずご自身の愛の計画を立て、それを実行してくださる。私達は、旧約聖書においても、愛に満ちた神様のお姿を垣間見ることができる。私達が幸せになるためには、神様は、私達の幸せを心から願っている愛の神様であることを信じることが第一である。
2.「幸せ」とは何か?
成功は、ただ神様の力によることだということを忘れてはならない。その上で、幸せとは何かを考えるべきである。
アサフは、何かが満たされたり、願っていたことがかなったり、順調な生活を送ったりすることではなく、「私にとって神のみそばにいることが幸せです」と断言している。私達は、神様を五感で感じることは少ないが、神様がそばにいてくださるので、すべてのことは私にとって「幸せ」であると感じることができる。世が決して与えることができない本当の幸せ感を神様が与えてくださる。
3.「幸せな死」を迎えるために
日本人は、「死」と「幸せ」を対極においているので、死を忌み嫌う。人が死を恐れるのは、死の向こう側に何があるのか分からないからである。死の向こう側を見てきた人は誰もいない。世界でたった一人だけ、死の向こう側を見て帰ってきた人がいる。それは、イエス様である。私達は死の向こう側に確かな世界があることを知っている。柏木哲夫医師によると、死を1か月後に迎えた人は、3種類に分けることができる。1番目は、おろおろして何も手につかなくなってしまうタイプ。2番目は、自暴自棄なり刹那的な生き方をするタイプ。3番目は、わずかな時間でも充実した生活をしようとするタイプ。先生は、死を突き付けられて急にこのような反応をするのではなく、「人は生きてきたように死んでいく」と言う。私達が「幸せな死」を願うならば、「幸せな人生」を生きるべきである。神様は私達が幸せな人生を送ることを望んでいることを信じて、毎日感謝して生きる時、「幸せな人生だった」と言って最期を迎えることができる。
神様が私達を幸せにするために用意された素晴らしいご計画を、自分の人生で満喫していきましょう。