メッセージ要約 2024.10.27 「ナバルではなくアビガイルのように」
メッセージ要約 2024.10.27「ナバルではなくアビガイルのように」
○1サムエル25章 朗読1−13節
アメリカのジョン・ブースという舞台俳優が、1865年4月14日、当時の大統領アブラハム・リンカーンを暗殺しました。その数週間後、この犯人の実の兄が、線路に転落したリンカーンの息子を助けたのでした。弟は大統領を暗殺し、兄は大統領の息子を救ったのです。兄弟は同じ環境で育ちながら、対照的な人生を辿ったわけです。
ナバルとアビガイルという夫婦も対照的な人生を送りました。ナバルは非常に裕福な人物で、その妻アビガイルは賢明で美しい女性でした。
預言者サムエルが亡くなったのち、サウルが一時的に悔い改め、ダビデはしばらくの間命の危険は無くなりました。しかし、この時600人の部下と共に荒野で生活をしていたため多くの食料が必要でした。
1.高慢な者とへりくだるもの
ダビデたちは、ナバルの羊をペリシテの襲撃から守っていたことがあったので、ナバルから報酬をもらおうと考えました。これは正当な報酬を求めたと言えます。
しかし、ナバルは侮辱を持ってダビデの正当な要求を突っぱねました。ナバル(愚か者の意)は得た富全ては自分の力によるものだと思っていて、自分を中心に世界が回っているような感覚を持つ人物であったのです。高慢な思いほど、人と神を遠ざける思いはありません。ある有名な人生の教師の言葉です。「真理とは、道端に落ちている石ころのようで、誰でも拾うことができるのです。しかし多くの人は身をかがめて、へりくだることがないので、真理を見つけることができないのです。」
自分の力で、すべてをなし遂げているという思いで歩んでいる人は、神様に出会うことは難しいのです。そのナバルと対極にいたのは妻のアビガイルでした。アビガイルはナバルと違い富に執着するような人ではありませんでした。彼女はダビデのしもべから事情を聞くと躊躇することなく、多くの食料と飲み物をダビデに差し出しました。彼女は神を信じていました。そして得た富は神から与えられたものであり、正しく管理する責任があると知っていたのです。
2.平和を壊すもの、平和を作り出すもの
ナバルは必要以上の侮辱を持ってダビデに対応したので、平和を壊す者であったといえます。一方のアビガイルは、平和を作り出す人でした。たとえ自分の命が危険にさらされても大事な家族やしもべたちを救わなければならないと、ダビデに対峙する道を選んだのです。彼女はダビデの前にへり下り、夫がした無礼を詫び、赦しを求めます。アビガイルはダビデがのちに王になることを確信し、「あなたは王になる方ではありませんか、どうか間違いを犯さないでください。復讐は主が行うことだと思いなおしてください」と言ました。これはエンゲディの洞穴でサウルを赦す選択をしたダビデが得ていた真理でもありました。その知恵のある言葉を前にダビデは自分の間違いに気がつくのです。彼女の謝罪ととりなしのおかげで、ダビデは神の御心に立ち返ることができました。アビガイルはまさに平和を作り出す人であったのです。
私たちもアビガイルのように私たちの存在や主張を通して、和解が生まれていく、周りの人が神に出会っていく、神の御心に立ち返っていく。そのように用いられていけると幸いです。
3.永遠の滅びと永遠の命
アビガイルが一族の生死をかけてダビデと対峙していた時、争いの元を作ったナバルは、宴会を開いていました。朝になって、ナバルの酔いがさめたとき、妻がこれらの出来事を彼に告げると、彼は気を失って石のようになり、主に打たれ死んでしまいます。神を拒否する人は、罪ゆえに滅びに行く運命にある。その現実を胸に止めたいと思います。
一方アビガイルは、ナバルの死後ダビデに妻として迎えられるのです。
イエスキリストを信じるものは、ナバルのように滅びに向かう運命ではなく、死んだ後永遠の命が約束されています。そして再臨の時、キリストの花嫁として迎えられる約束の中にあるということです。
今日はナバルとアビガイルの対象的な運命をたどった二人から学んできました。高慢ではなくへり下り、富の正しい賢い管理人として歩みましょう。平和を壊すものではなくアビガイルのように平和を作り出すものでありましょう。そしてナバルのように滅びに向かうものではなく、イエスキリストの十字架の救いを受け入れ、世の終わりにキリストの花嫁として迎えられるものとして歩むものになりましょう
(H・T)
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