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「牧師夫人の徒然なるままに」(八九一)「時代の流れ?」
「教え」を後の世に継続して伝えるためには頑丈な保守の壁で囲みこまなければならないように思います。旧約聖書の箴言には子育てについての記述がありますが、その教えを現代にそのまま持ってきても、容易に受け入れてもらえないことも多いのではないでしょうか。子育てだけではありません。男女の性差に関しても、大きく揺れています。
わたしは聖書の御ことばを、神さまからの最良のプレゼントであり、最善の人生の指針であると確信しています。けれども、今世紀に入って特に顕著になってきている世の風潮の中には、まっ向から聖書の御ことばを否定するものもあります。「子供に鞭を控えてはいけない」(箴言13・24,23・13など)を実践したら、家庭内暴力と訴えられるかも知れません。「神は人を男と女に造られた(創世記1・27)」のですが、今は男でも女でもない人がいても良いという風潮です。
ユダヤ教の信者さんたちのあの独特な風体は、彼らがなんとしても旧約聖書の教えを守り抜こうという固い決意とそのための予防壁のように私には思えます。滑稽だと笑う前に、そこに流れる真摯な信仰に私は感動します。
今、私たちクリスチャンは、世の人の視線にさらされながら「護るべきもの」への対応に迫られています。
安食道子